”水俣病とは何か?” | asuaritoのブログ

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あすありと思ふ心の・・・



小学2年生のとき

学校で大きな写真パネルを見た。


それまで知らなかった。

家に帰って母に話すと

「テレビで言ってるよ」


ラジオっ子の私は知らないでいた。

学校の図書室で本を探してみたけれどなかった。

百科事典をみても記述はなかった。


国が認めないことを、書籍にしたり、辞典に書いたりは できない。

大人になってから気づく。


それでも、ニュースを見て新聞を読んで、知ろうとした。


裁判でも棄却が続いていた。

このころの報道は、今より詳しく表現していたと感じる。


祖母が元気に働いていたころ

部屋に呼ばれた。

卓上には大きめの本が置いてあった。


「ここで見て、読みなさい」


持ち出し禁止ということ。

大きめの本は

報道写真家、ユージン・スミス氏の写真集に

小さな文字で"事実"が書かれていた。


患者を写したものではあるけれど

人々の闘い、その表情を映されていた。


映画化されるとき

写真集は再販された。



熊本大学に医師原田正純氏がいらして

胎児性水俣病を発見、追求なさった。

原田氏は、退職なさるまで昇進できなかった。


現地に行って、患者さんと対話なさる。

お一人お一人を診察なさる。


出張旅費などない。

全て手弁当。

患者さんがたが最も慕った医師。


私学の大学に移られても

現地での診察は続いた。


水俣病患者慰霊式がある。

どうしようもできなかった水銀を

ステンレス製で大きな筒を作り

浜から海に何十万も差し込んで

水銀の流出を止めるという儀式

そして埋め立て。

その埋め立てた広大な公園で慰霊式は行われる。


医師、原田氏は

その慰霊式には一度も行かれなかった。


有機水銀の症状が最初にあった地区がある。

その地区で行われる慰霊式の末席に原田氏は座っておられた。


高校野球で、水俣病のことを知らない生徒が話した。


熊本県というと水俣病を真っ先に想起なさるかたが多い。

そう。水俣市は熊本県。


豊かな森もあって

美味しいみかんが、たくさん実る。

サラダタマネギという、やわらかくて美味しい産物がある。

サラダタマネギと一緒に、柑橘ドレッシングも作っておられる。


もう10年ほど前のことかもしれない。

アーケード街の真ん中は催事ができる。

新鮮なサラダタマネギと柑橘ドレッシングがあった。

ドレッシング=みかん、酢、油少し


いつもは試食しない。

なぜだか、このときはいただいた。

とても美味しかった。


「どちらから いらっしゃったのですか」

何気なく聞いた。

痩せがたで背の高い男性は

「県南です」

と、おっしゃった。


このころは

友人たちの分も買っていたので

ものすごい量を運んでいただいた。


ドレッシングには

熊本県水俣市と書いてあった。


とても悔しい思いだったことを覚えている。


県内にいても、水俣という言葉を遠慮なさる。

どれほどの苦しみがあったのか、、


熊本城の入り口には

市営プールがあった。

小学生がプール事故で亡くなってから長い間閉鎖されたまま。


そこを埋め立てて

城彩苑という飲食店や県内の産物を売る店舗ができた。


県境の五木の味噌豆腐はある。

同じく県境の水俣市の産物はない。

手前の芦北あしきた町まで。


熊本市さえ水俣市の産物を入れなかった。

豊かな森で、みかんが育ち

美味しい実りがあります

とアピールできたであろうと思う



多くのかたが

最高裁の判決によって

患者さんがたは救済されたと思っていらっしゃる。


ちがう。

判決のあと、環境大臣は

検討委員会を立ち上げただけで

何もしていない。


かつて石原慎太郎氏が

すっとんきょうなことを言って

土下座する、ということがあった


患者さんがたは

おっしゃる

謝ったんだから、いい。


全国でベストセラーになった

女帝の売り上げは

熊本県が最下位だった。