”ノーベル賞文学賞を受賞した大江健三郎は文化勲章は辞退した【佐高信「追悼譜」】” | asuaritoのブログ

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あすありと思ふ心の・・・


大江の死を知って、黒川祥子の『同い年事典』(新潮新書)を開いた。

1935年1月31日生まれの項に大江と成田三樹夫が並んでいる。悪役が似合った俳優の成田は山形県酒田市の出身で私の小、中、高の先輩である。

大江と成田が出会ったことがあるのかどうか、私は知らない。誕生日が同じ2人が会ったら、どんな話をしたかと想像するのは楽しいが、1935年生まれには、他にエルヴィス・プレスリーや美輪明宏、筑紫哲也、そして、アラン・ドロンがいる。

プロデューサーの久世光彦も同い年だが、久世は大江の小説を読んで、作家になるのを断念したと、どこかで告白していた。

愛媛出身の大江は映画監督の伊丹万作の娘のゆかりと結婚したが、それで騙されたということは不正者による被害を意味するが、しかし、騙されたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである」喝破した「戦争責任者の問題」を含む『伊丹万作エッセイ集』(筑摩書房)の編者となっている。ゆかりの兄が大江と高校で一緒だった伊丹十三である。


先年、NHK松山放送局が万作の生誕100年を記念して番組を作り、その思想を未来につなげるために、姜尚中と私が語り合った。

大江と初めて言葉を交わしたのは政府に目の敵にされて、いま、問題となっているTBSの「サンデーモーニング」で同席した時だった。終わって帰る大江に、

「身辺に気をつけてください」

と言ったら、

「佐高さんこそ」

と返された。「政治少年死す」等を書いて右翼の攻撃の嵐にさらされた大江にそう言われて、私は恐縮した。

ノーベル文学賞を受けた大江は、「国家と結びついた章だから」として文化勲章を辞退している。

もちろん、大江の、とりわけ初期の作品を私は愛読したが、何よりも親しいのは『ヒロシマ・ノート』(岩波新書)である。

ちちをかえせ

ははをかえせ

という峠三吉の詩をプロローグに『ヒロシマ・ノート』は始まる。大江にこれを書くことをすすめ、その取材に同行したのは『世界』の若き編集者で、のちに岩波書店社長となる安江良介だった。

何度かヒロシマを訪れた大江がそこで語るのは「人間の尊厳について」である

たとえば、被爆者で肢体の不自由な子を生んだ若い母親は、自分の生んだ赤んぼうをひと目なりと見たいと望んだが、その願いはかなえられなかった。そのとき彼女は、あの赤んぼうを見れば、勇気が湧いたのに! と嘆いたという。

加藤周一や井上ひさしらと共に「九条の会」を結成し、護憲を訴え続けた。80歳を過ぎてなお、反原発のデモに加わっていた。(文中敬称略)

(佐高信/評論家)