上には、うえがいる。 | asuaritoのブログ

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あすありと思ふ心の・・・



先週から

東北フェア と聞いていた。

百貨店で催事があっているのだろうか、と聞くと、

違う。

店頭に「東北フェア」と張り出してあるらしい。




青森県のリンゴを使った

アップルパイ。


アップルパイ。

懐かしい。


スイスという店舗のアップルパイは、最高!

という時があった。


今は、作られていない。


高等学校生のころは

人気商品で買えない。

では、みな各々で買いに行ってみよう。ということになった。


それでも、学校が終わってから買いに行くと

時、すでに遅し。売り切れ。


男子が、昼休みに買ってくると言って

学校を抜け出した。


売り切れだった。


予約は受けてもらえなかった。


理由があった。


リンゴの味が違う日は、アップルパイはない。


あきらめていた友人たち。


オレンジページという、料理の本が創刊されたころだったのか、、

それとも、母の読み物の中から探したのかは、覚えていない。

レシピがあった。


写真付きで説明がなかったので

母の読み物だったのかもしれない。


パイができなかった。

パイに層ができるのは、バターのあった場所が、層になることが分かった。


学校から帰って、何もかも済ませてから、パイを作る。


料理は、手際がよくないと時間がかかる。


バターは、無塩バター。

リンゴを煮るのにはブランデーと書いてある。

煮るのに使うことを説明して、やっと家族の許可がおりた。


当時、高校生でも、キッチンに立つことは許されることでもなかった。

家の、しきたり。というもの。


出来上がったのは深夜だった。


翌朝、一つずつラッピングしたのを学校へ持って行った。

うそだ、信じられない。
自分で作ったと言うと、開口一番に指摘された。

美味しい!
こっちのパイが、美味しい!
誰が作ったのか、、
何度も聞く友人たち。

作り方を説明した。
明治生まれの祖母は、学校を卒業してから
花嫁修行をするのです。
決して譲らなかった。
母にも、しっかり「見張られて」いた。

高等学校1年生の時であったから
3年弱、アップルパイを作った。

懐かしいことを思い出していると
おいしい、おいしいと食べ終わった友人は
〇〇のパイには、およびませんことよ。

おせじだと分かっていても、忘れないでいてくれる思いが嬉しい。

さっさと帰ってしまった友人。
食欲は無かったけれど、一口大に切って食べた。
水を飲むとき、涙がこぼれた。


思いやり、やさしさ、楽しさ
そういう思いを実感すると
涙がこぼれる年齢になったのだろう。

顔を洗って、目薬を使っていたとき
本を依頼していた友人が持って来た。

入るなり、目薬をさしていた。
ん?
大気汚染がひどい?

違った。
本屋さんで、「目が合った」と言う。

んん? もっと分からない。

こうだ。
入口に新刊やベストセラーが並ぶ。
1階は、L字型の店舗内で、一番奥にも新刊のコーナーがある。

そこからレジに向かう場所で
にっこり笑うデンデンの本があって
その本の視線と友人の視線が合った。

笑うのを耐えた。

目薬を使っていた友人は
「わるいけど、シャワー使わせてもらってもいいかな」

洗面所のシャワーで洗っていた。

わたしも、写真があると手で押さえるか、書籍に写真があったりすると
付箋紙を貼り付けるが、、
上には上がいる。

目を洗って、スッキリしたのか
「我慢しないで、笑っていいわよ、、」
言い終わらないうちに、二人とも吹き出してしまった。

紙袋にぎっしり入っているアップルパイは
友人が、いつも分け合う人数分をテキパキと袋に入れた。

「じゃぁ、配ってくるね」

ありがとう。と言って送り出した。