”小児甲状腺がんは原発事故によるものー当時の子どもらが東電を提訴 ” | asuaritoのブログ

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あすありと思ふ心の・・・




小児甲状腺がんの集団訴訟の記者会見は数日前だった。


伝えるべきことを、日本のマスメディアは行わない。



企業原因の事件や公害は、いくつもあった。


わずかな保障で、今もキャラメルや飲み物、たくさんの食品を作っている企業。

あの時、家族の悲しみは終わったのでしょうか?

あの時、被害にあった赤ちゃんは、今どう過ごされているのでしょうか。



チッソが有機水銀を海に捨てたことで

いわれなき差別を受けた人々。

チッソは、原因を知っていた。

証言した医師がいたから、ごまかせなかった。


しかし、国の責任を認めた裁判の判決のあと

検討委員会をつくった。←女帝

そして、うやむやにされた。


俗に水俣病といわれる

メチル水銀中毒症の患者がたは今も救われていない。


一貫して患者側にたたれた医師

原田正純 氏は

公式の慰霊式には一度も行かれなかった。

水俣病じゃない。水俣事件だ。

倒れられる前まで、おっしゃっていた。


明治時代の殖産工業のころから

有害物質を海に流していたチッソ。

子会社化して名前を変えてますが、、


患者さんのご家族は、医師 原田正純 氏の献身的な診察で支えられたのだとおもう。


「頭の手術をしてほしい」

小学生にならないくらいの子どもに懇願され、詳しく少女の話しを聞かれる。


頭の、どこがおかしいのかがわかれば手術で治して欲しい。


なぜ、いじめられるのか。

なぜ、おかしいと言われるのか。


少女が考えて、頭の手術で治るかも、、

精一杯のお願いをする。


原田正純氏は、頭の手術をするときは死ぬときだもの。

と答えられる。


県内に住んでいて、知らなかったこと。

そのころから、新聞には詳しく書かれていなかった。


当時は、百科事典にも、新聞社にも、大学校にも答えはなかった。


原田正純 氏のような医師がいてくださったことが、一つの救いであったと思う。


誰も責任をとらないのだから。


頭の手術を願い出た少女は、今70代後半くらいになられると思う。

兄弟と過ごされている。


あの熊本豪雨の調査を、信頼できるかたから見せていただいた。

なぜ、球磨川の本流途中にダムがあるのか。


所在地を聞いて、なんとなく分かった気がした。

ダムは、発電のため。

所在地は、チッソ工場に最も近い場所にある。


企業のため、経済のため、と言われ続けて、今がある。


佐高信さんの著書

企業と経済を読み解く小説50

に、五味川純平氏の「戦争と人間」の頁がある。

経済小説として、取り上げたいと申し出られた佐高 氏に

戦争は経済だからね。と答えられたとの記述がある。


五味川純平 氏は、満州で生き残ったとおっしゃる。

その時の思いが16巻の大作となった戦争と人間。


その、前、ずっと前

日清戦争のころ、すでにチッソは動いていた。


ハンセン病患者の隔離。

今でいう感染症の患者を、ついこの前まで隔離し続けていた。


患者の気持ちを和らげてくれたのは、野中広務氏。

官房長官時代の野中広務 氏。

心の奥から、謝ってくれた。と。


小泉 氏が謝罪した場面が多く使われているという。

あんなの、口先だけだ。


人は、心をこめて謝罪されると

もう、いいですよ。という気持ちになると思う。


しかし、謝罪した会見から、裁判になった。

控訴はしない。と決まったのは、ごく最近。


直感で分かるときがある。

患者の年齢が高いこと。少ないこと。

そうでなければ、家族への謝罪はしない。とは言えないだろう。


どこまでも、どこまでも

国民の代表、票を得て議員になった者たちは、大きな心得違いをしている。


東電の株は被害者全員に渡すのが、いい方法だと思う。

100%  被害者に渡す。

全財産を置いて、身一つで避難された多くのかたがたへ。


身体の症状があっても、長引かせ否定し続けるだろう。

そうでなければ、東電幹部は断罪されたはず。


身体の症状をもって提訴した記者会見でさえ、間をおいて報道する日本。


およそ11年前。

東北の地域から、熊本の水俣市に足を運ばれたお母さんがたがいらっしゃる。


水俣市のお母さんがたは

味方になってくれる先生(医師)を探してください。と伝えられた。


おそらく、真意が伝わらなかったのかもしれない。と聞いたことがある。


胎児性水俣病を告発なさったのは、熊本大学医師 原田正純 氏だった。

全力で患者側に、たたれた。

職場での、出世も昇級も一切望まれない覚悟を、お持ちだった。


今、いやもっと前からだろう。人を救おうとしない。

子どもを救おうとしない。

情けないほどのダラク。