もくじ


1章 乗船のきっかけ


2章 漁場に着くまで


3章 地獄の日々

 (ソマリア沖編)

 (南アフリカ沖編)


4章 天国の日々




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【乗船のきっかけ】

1989年、私は19才で父親が漁労長(船頭)を務める土佐カツオ一本釣り漁船に乗り、家業である漁師になりました。

私の父は非常に仕事に対して厳しく、息子の私には特に厳しかった。

甘ったれのクソガキだった私はその厳しさに1年も耐えきれず、静岡県の焼津港で逃亡をしてしまいました。 

もう父親に怒鳴られたり殴られたりするのがどうしても嫌だったのです。

しかし、私の所持金はたったの1万円。

焼津市には友達も知り合いも居ない。

地元高知県へ帰るにはお金が足りない。

一か八かパチンコ屋へ入り勝負をしたが、勝てるはずもなく、残金500円だけになってしまった。11月の夜の寒い中、

途方に暮れた私は暗い夜道を肩を落としながら歩いていました。

すると目の前に明るい看板が見えてきました。

『スナック3匹のこぶた』

まるで吸い寄せられるかのように何のためらいもなく500円玉を握りしめてドアを開けました。

とにかく心細くて人恋しかったのを今でもハッキリと憶えています。


『いらっしゃいませ!あれっ?お父さん迎えにきたの?』


私は20歳の頃、中学生にしか見えない程の童顔だったので、まさか飲みに来たとは思われなかったのです。

カウンターに座り、ビールを注文したあと、店のママに根掘り葉掘り聞かれたので、一部始終を話しました。

するとママは突然


『じゃ、あんたマグロ漁船に乗りなよ!』


と言って、すぐにマグロ漁船の会社の専務さんに電話をかけ、それから数十分後には専務さんが現れた。

そして専務さんに飲み代をご馳走してもらい、その夜から、マグロ漁船の会社の船員寮で寝泊りすることになりました。

翌日からはマグロ漁船が出港するまでの間、造船所で日払いのアルバイトをさせてもらいました。

高知の実家には専務さんに頼んで連絡をしてもらい、状況を説明してもらいました。

それから約1ヶ月が経ち、いよいよ成人の日でもあった115日、出港の日がやってきました。

2年近く日本を離れると聞いていたので出港直前、急に寂しさが込み上がり、高知の親友たちに電話をかけましたがみんな成人式に行って連絡がとれませんでした。

しばらく日本に帰ってこれないという不安と、海外に行けるというワクワクした気持ちで出港したのでした。 


           

第2章

【漁場に着くまで】


日本を離れ、アフリカ大陸の東側で赤道直下に位置するソマリア沖までの約1ヶ月間の航海が始まりました。

その期間は船員22人がみんなでマグロを釣るための漁具作りをします。

その作業以外の時間帯は、交代で見張り当直をしたり、休憩時間は自分の部屋でビデオを観たりして過ごします。

出港前に電気屋さんでテレビとビデオデッキを買って、更にビデオテープも数十本単位で各自が持っていきます。

全て観終わったら、他の人の分と交換してもらっていくのです。

みんなのビデオテープが交換でぐるぐる回って、もう新しいのが無くなってきた場合、今度は他のマグロ漁船と海上で交換していきます。ビデオテープが入った発泡スチロールの箱を海に浮かべてもらい、それを長いフックで引っ掛けて船上に引き揚げるのです。

漁場に着くまでの間はみんな仲良く、私も可愛がってもらいました。

中でも刑務所から出所してきたばかりの原さんには良くしてもらいました。

みんなからは『あんちゃん、あんちゃん』と呼ばれていました。

お風呂に入るときに気が付いたんですが、半分以上の船員が身体のどこかに刺青が入っていたり、小指が無い人もいました。下半身には真珠が埋め込まれていたり。

でもみんな優しくて面白い人ばかりでした。

まさかこの後、漁場に着いてからみんなの態度が信じられない程、豹変するなんて、これっぽっちも思っていなかったのでした。 

         つづく。