今日5月12日は「看護の日」です。
実は、この職種につくのは、3度目です。
もう〜10年以上前に、都内の大学病院の外来での看護助手をしていました。その時も産婦人科で、また、産婦人科で、そして、今は、内科系に。と、言うのも、若い頃「膣中隔有双頭双角子宮」という病気が発覚したからです。
早い話が、奇形子宮です。本来子宮は1つ。
その子宮がハートのような形なんですが、左右の大きさが違う。月一にくる月経が2度くる事もあります。そのためなのか、腎臓が1つしかありません。要するに生まれつきらしいです。確か、初月経は、忘れもしない弟(2つ違い)が小学校の卒業式でした。お祝いに、赤飯を食べて、母と女だけのお祝いをした覚えがあります。それから、私は、月一は、比較的軽く楽な日々でした。それが19歳の夏に、腹痛から、病院のたらい回し的に検査入院(産婦人科&泌尿器科)そして発覚した状況でした。
看護婦だった母もびっくりしてました。
入院していたので、父には当時どこまで話をしたのだろうと、今更思います。それから、妊娠して出産の経過も当時住んでいた場所が遠く検診だけでも大変でした。その為里帰り出産です。その病名なのか、血小板はひとなみより低い。もちろん帝王切開でした。下半身麻酔でしたね。家族・生活面は最悪な日々の中(色々あり離婚)すくすくと子供は成長した中、育児も人段落、そんな中、なんとなく思いたった「医療界」元々看護婦の母親からは、特に進められた事はなかったけど、ただこれからは「介護」の時代だからと。口うるさく言われた気がします。口を開ければ、「老人ホーム」や「介護施設」の話でした。
介護保険が適用になる時期でもあったのでしょう。その話に早くから便乗したのが、弟2人です。早めに資格を取得して現場で働いてましたね。私は、ふと?「子供はどこから産まれたのか?」そして婦人系「子宮」の事が知りたくなり、ならば、産婦人科で働いて見ようかと。ご縁があり、助手として働いてました。「生まれる」世界を見てきた私には、不思議な感覚でした。「帝王切開」なるほど。なるほど。あかちはこうやって産まれて来るのねと。本当に当時は、きつい中(精神的)頑張ったし、色々な事を学べました。
なら、「看護婦」にと思いましたが、年齢的にと、経済的に難しいと思いました。それから、元々人と接する仕事が好きでしたし、子供が成人になって、もっと色んな事に挑戦?したくなりました。今だから言えるけど、本当に色んな職種にいた気がします。昼間やら、夜勤やら働いたなぁ〜(笑)
そう思いながら、私の身体も不調になりつつあり、疲れやすくなり
更年期なのか?なんなのか?あれ?尿がなんか変だなぁ〜と自覚症状から、もう1つしかない腎臓が悲鳴を上げてるのか?
ならば、また、自分の身体状況を調べにと
2020年から、病院に勤め始めました。
患者と触れ合うことで、自分の状況がわかるかと近い場所にいたいし、病院だから何かあった時に自己対策ができるかと思った、その矢先です。えっ!えっ!
「新型コロナウイルス」とは、なんぞや!
世界中から凍りついたニュース。
最悪のシナリオが、はじまった。
都内の病院や指定病院の方は、本当に大変です。実は、これがコロナの影響なのかわからないけど、かなりの方が亡くなってます。疾患をもっている患者さんは本当に免疫力が低下しています。ここ1ヶ月間は、休み明けに亡くなっていることが多いです。
昨日、配膳でご飯出したじゃないの!
ちょっと、年配で、認知症があったけど、声かけてくれたじゃないの!
もちろん、今このご時世だから、面会NGです。出入れしている私達?そんな葛藤も正直あります。さすがに、毎日この状況があると心も折れてきました。単純に「人は死ぬんだ」と。改めて思う毎日。この業界で働く限り、あるケースですし、この状況に、慣れることがいい事なのかわからないけど、わたしは、今いる患者には、精一杯のケアをしてあげたいと思っています。自分の親に会うより身近です。そして自分自身のケアにも、戦って行きたいと思っている今日この頃てす。(都内病院従事者のみなさん頑張ってください)長々と書きました。最後まで、読んでくださってありがとうございます。
実は、この職種につくのは、3度目です。
もう〜10年以上前に、都内の大学病院の外来での看護助手をしていました。その時も産婦人科で、また、産婦人科で、そして、今は、内科系に。と、言うのも、若い頃「膣中隔有双頭双角子宮」という病気が発覚したからです。
早い話が、奇形子宮です。本来子宮は1つ。
その子宮がハートのような形なんですが、左右の大きさが違う。月一にくる月経が2度くる事もあります。そのためなのか、腎臓が1つしかありません。要するに生まれつきらしいです。確か、初月経は、忘れもしない弟(2つ違い)が小学校の卒業式でした。お祝いに、赤飯を食べて、母と女だけのお祝いをした覚えがあります。それから、私は、月一は、比較的軽く楽な日々でした。それが19歳の夏に、腹痛から、病院のたらい回し的に検査入院(産婦人科&泌尿器科)そして発覚した状況でした。
看護婦だった母もびっくりしてました。
入院していたので、父には当時どこまで話をしたのだろうと、今更思います。それから、妊娠して出産の経過も当時住んでいた場所が遠く検診だけでも大変でした。その為里帰り出産です。その病名なのか、血小板はひとなみより低い。もちろん帝王切開でした。下半身麻酔でしたね。家族・生活面は最悪な日々の中(色々あり離婚)すくすくと子供は成長した中、育児も人段落、そんな中、なんとなく思いたった「医療界」元々看護婦の母親からは、特に進められた事はなかったけど、ただこれからは「介護」の時代だからと。口うるさく言われた気がします。口を開ければ、「老人ホーム」や「介護施設」の話でした。
介護保険が適用になる時期でもあったのでしょう。その話に早くから便乗したのが、弟2人です。早めに資格を取得して現場で働いてましたね。私は、ふと?「子供はどこから産まれたのか?」そして婦人系「子宮」の事が知りたくなり、ならば、産婦人科で働いて見ようかと。ご縁があり、助手として働いてました。「生まれる」世界を見てきた私には、不思議な感覚でした。「帝王切開」なるほど。なるほど。あかちはこうやって産まれて来るのねと。本当に当時は、きつい中(精神的)頑張ったし、色々な事を学べました。
なら、「看護婦」にと思いましたが、年齢的にと、経済的に難しいと思いました。それから、元々人と接する仕事が好きでしたし、子供が成人になって、もっと色んな事に挑戦?したくなりました。今だから言えるけど、本当に色んな職種にいた気がします。昼間やら、夜勤やら働いたなぁ〜(笑)
そう思いながら、私の身体も不調になりつつあり、疲れやすくなり
更年期なのか?なんなのか?あれ?尿がなんか変だなぁ〜と自覚症状から、もう1つしかない腎臓が悲鳴を上げてるのか?
ならば、また、自分の身体状況を調べにと
2020年から、病院に勤め始めました。
患者と触れ合うことで、自分の状況がわかるかと近い場所にいたいし、病院だから何かあった時に自己対策ができるかと思った、その矢先です。えっ!えっ!
「新型コロナウイルス」とは、なんぞや!
世界中から凍りついたニュース。
最悪のシナリオが、はじまった。
都内の病院や指定病院の方は、本当に大変です。実は、これがコロナの影響なのかわからないけど、かなりの方が亡くなってます。疾患をもっている患者さんは本当に免疫力が低下しています。ここ1ヶ月間は、休み明けに亡くなっていることが多いです。
昨日、配膳でご飯出したじゃないの!
ちょっと、年配で、認知症があったけど、声かけてくれたじゃないの!
もちろん、今このご時世だから、面会NGです。出入れしている私達?そんな葛藤も正直あります。さすがに、毎日この状況があると心も折れてきました。単純に「人は死ぬんだ」と。改めて思う毎日。この業界で働く限り、あるケースですし、この状況に、慣れることがいい事なのかわからないけど、わたしは、今いる患者には、精一杯のケアをしてあげたいと思っています。自分の親に会うより身近です。そして自分自身のケアにも、戦って行きたいと思っている今日この頃てす。(都内病院従事者のみなさん頑張ってください)長々と書きました。最後まで、読んでくださってありがとうございます。
新型コロナウイルス、長丁場の処置です。まだまだ、油断出来ません。みなさんで力合わせて治して行きましょう。