ネットの中なら、ヤバい奴でもなんでも、面白ければ推すし、尊敬する。擁護だってするさ。彼らの尖った意見やぶっ飛んだ行動は、どこか清々しさすら感じさせる。ネットという壁を越えてくるその勢いが、日々の退屈を吹き飛ばしてくれるからだ。ネットの中では、距離があるからこそ楽しめる。だけど、現実でその「ヤバい奴」に出くわした時、俺の態度は一変する。どうにも拒絶反応が出るんだよな。これが、どうしても直らない癖だ。


どうしてなんだろう?そう考えてみると、答えは簡単だ。用事があったり、時間がなかったり、心に余裕がない時に、彼らの存在が突然目の前に現れるからだ。じっくり観察する時間がなく、ただイライラするか、悲しい気持ちになる。ああ、なんて自分勝手なんだろう。ネット上では推しているのに、リアルでは拒絶する。その矛盾に気付いた時、自分がどれだけ狭い了見で生きているのかを思い知らされる。


偏見をなくしたい。リアルでもネットでも、同じように壁を作らず接したい。相手がどれほど「ヤバい奴」でも、彼らの背景や思いを受け止める広い心を持ちたい。それは、今すぐには無理かもしれない。だから、俺はこう決めた。六千年後の目標にしようって。六千年って、随分先の話だけど、そう考えることで少しずつでも変わる自分を見たいんだ。


六千年後には、俺ももっとオープンな心を持っているかもしれない。ネットでも現実でも、壁を作らずに生きる自分を想像してみる。ヤバい奴に対しても、彼らの存在意義を認めて共存すること。それは、一人ひとりが持つ違いを受け入れることであり、その先には新しい価値観や可能性が生まれるはずだ。


だから、これを俺の長期目標にする。六千年後、もしその時代に俺が存在するなら、どんな「ヤバい奴」にも偏見なく接する自分でありたい。ネットの向こうでも、現実の隣でも、同じ目線で向き合える自分を目指して。そして、そんな世界を作り上げるための一歩を、今日から始めていこうと思う。