誰かが喜ぶことをすることが仕事とされる。

誰も喜ばないことは仕事にならない。

けど、その間みたいなことはいっぱい仕事の中にふくまれる気がする。

これ、だれが喜ぶんだ?

そう自分に聞いてみる人はたくさんいるんじゃなかろうか。

 

その答えは中々難しく、労働という名のもとになんとなく日々は過ぎていく。

 

仕事と労働はやはりちがう。

しかし、仕事の中に労働が混じっている。

でも、確かに労働的なことは必要で、仕事と労働はいつも背中合わせでやっかいだ。

みんな悩むな。みんなと自分に言いたい。

 

明日死んでしまうとわかっていても、その仕事を今日やるか。

そういう問いがよく立てられる。

明日死ぬと思って今日を生きるってことなのだけれど、

さあどうだろう。

そんな思いに、人はなれるんだろうか。

 

明日死ぬ、3日後に死ぬ、30日後に死ぬ。

1年後に死ぬ、3年後に死ぬ、30年後に死ぬ。

 

いつ死ぬか?を感じてみて、どこからが焦るのか考えてみるけど、よくわからない。

3日後と30年後。

3日でできない事も30年かければ出来るような気もする。

でも明日できない事は30年たってもできないような気もする。

 

我々にとって時間とはなんとも難しい。

死ぬ瞬間に、あー楽しかったと死ぬために今の時間があるとすれば、

絶対後悔してはならないはずの今の時間。

 

今を生きる。

今を考える。

今を行動する。

 

今を見る。

今は見えない。

 

今はちょっとあとにわかる。

あー昨日は飲みすぎちゃったなーと後悔するように。