「暇」です。
この職場で「暇」ということは、事件も事故も少なくて一応、「平和」だなぁと。だからこうして、職場でこんなテキストをつらつら打っているわけです。
で、テキストを打ちながら、去年一年を振り返ってみたわけですが、漢字一文字で現すと…
「濃」
でした。
去年は世間にも僕にも、色んな事がありました。
その一つ一つを完ぺきにこなすことはできず、今年に持ち越してしまったり、あるいはやめてしまったりしたこともありますが、あんまり気負わずにいこうと思います。
上記のことを書いておきながら何ですが、新年を迎えたからといって「ああしよう」とか「これをやろうとか」はあんまり思いません。むしろ、年を重ねた瞬間の方がよほど自分を振り返ります。
次に年を重ねると、いよいよ三十路を迎えます。
二十歳をからの十年、悪い部分をそぎ落として、良い部分は残しつつ生きてきたつもりです。でも、あのころのような「純」なガムシャラっぷりはもう発揮できないでしょう。「何かを失うと、何かを得る」とはよく言ったもので、色んなリスクを考えながら生きています。コレが俗にいう「大人になった」とでも言うのでしょうか。
僕が好きな柴門ふみさんの作品「同・級・生」の中で「大人になるんだったら早い方がいい。人はどうせ皆、大人になるんだから」というコトバがあります。僕はこの言葉を20代前半のころに読み、大変な共感を覚え「早く、早く」の思いで、やってきました。
見栄を張ったりしたことも多々あります。カッコつけたことも
多々あります。てか、今もそうです。自分の中のイメージは生意気に理想は「高く、高く」持っているので、こんなことになるのですが、三十路になるとこのキモチは何か変化が起きるのでしょうか。
20歳の時の理想と、25歳の時の理想と、29歳の時の理想は、もう全然違ってます。理想が130度変わって5年後に230度変わることもあったり、「自分には自分がないのか」とツッコミを入れたりすることもありますが、その時に「そう思えた」自分と、現在形の自分から客観視して見た「そう思ってた自分」は両方忘れないでいたいものです。
でも、モチベーションは二十歳のころよりも上昇しています。好奇心も上昇しているし、「夢」というコトバは使いたくありませんが、ぐぐっと自分が「見えて」きています。結局、自分をいかに知るか、んでどうするか、なのではと思います。
ハナシは少しずれますが、僕は「仕事」でとても認められたい人です。で、それに伴った「ギャランティー」がすごく欲しい人です。第一義は「仕事」なんですが、やらしく言えば、たくさんの「ギャランティー」が欲しくて「仕事」で認められたい人間と言っても過言ではないです。きれい事はそんなに好きではないし、僕の性分ではないため本音を出すとこんな感じです。
きれい事は好きではないですが、泥臭いのも最近は好きではないです。要は中途半端が一番嫌いなのですが、僕がリーダーをしていたバンドの元メンバーや、同世代の「なんつって」アーティストを見ていると本当にイライラします。この年で音楽のギャラを1円ももらったことがないのに、まだ音楽にしがみついていていたりして。てか、単純に「もっと練習しろよ」って思います。
プロのアーティストよりも楽器に触れる時間が少なくて、何を気取っているんだって感じです。「ファッションでやっているのですか」と問いかけたくなります。意地でやっているか、夢見心地でいたいのか、どっちかだとは思いますが。そんなのに限って「ライブに来い」的な丁寧なお誘いメールが来るのですが、僕は「ツーマンライブか、業界関係者を呼んだプレゼンライブをやることになったら呼んで」と返信します。こうすれば、もうお誘いのメールが来ることはないです。付き合いで行くのはごめんです。「もっと評価されてから呼んでね」と思うのです。
僕は遅くなってしまったかもしれませんが、その辺に踏ん切りをつけて、転換しました。「目先の1年」より「遠くの10年」を選んでしまいました。若い人間からは、というか、僕自身もその時は「格好悪い」と思いました。やっぱり格好悪いのでしょうか。
当時、僕はこの2つを両立すると粋がっていました。当然、その理想は捨てていませんが、僕の第一義は「仕事」なので、自然に2つできなくなっていました。これは格好悪いものですが、仕方がないです。
自分の考えを振り返ってまとめながら書いているので、なかなか表現が難しいです。年始というわけではないですが、ブログでこんなに長文を書くのは久々です。
なんだかんだ書きましたが、トータル的には今年は「ワクワク」する年になりそうです。
結局「年始だから」で書いてしまいました…
この職場で「暇」ということは、事件も事故も少なくて一応、「平和」だなぁと。だからこうして、職場でこんなテキストをつらつら打っているわけです。
で、テキストを打ちながら、去年一年を振り返ってみたわけですが、漢字一文字で現すと…
「濃」
でした。
去年は世間にも僕にも、色んな事がありました。
その一つ一つを完ぺきにこなすことはできず、今年に持ち越してしまったり、あるいはやめてしまったりしたこともありますが、あんまり気負わずにいこうと思います。
上記のことを書いておきながら何ですが、新年を迎えたからといって「ああしよう」とか「これをやろうとか」はあんまり思いません。むしろ、年を重ねた瞬間の方がよほど自分を振り返ります。
次に年を重ねると、いよいよ三十路を迎えます。
二十歳をからの十年、悪い部分をそぎ落として、良い部分は残しつつ生きてきたつもりです。でも、あのころのような「純」なガムシャラっぷりはもう発揮できないでしょう。「何かを失うと、何かを得る」とはよく言ったもので、色んなリスクを考えながら生きています。コレが俗にいう「大人になった」とでも言うのでしょうか。
僕が好きな柴門ふみさんの作品「同・級・生」の中で「大人になるんだったら早い方がいい。人はどうせ皆、大人になるんだから」というコトバがあります。僕はこの言葉を20代前半のころに読み、大変な共感を覚え「早く、早く」の思いで、やってきました。
見栄を張ったりしたことも多々あります。カッコつけたことも
多々あります。てか、今もそうです。自分の中のイメージは生意気に理想は「高く、高く」持っているので、こんなことになるのですが、三十路になるとこのキモチは何か変化が起きるのでしょうか。
20歳の時の理想と、25歳の時の理想と、29歳の時の理想は、もう全然違ってます。理想が130度変わって5年後に230度変わることもあったり、「自分には自分がないのか」とツッコミを入れたりすることもありますが、その時に「そう思えた」自分と、現在形の自分から客観視して見た「そう思ってた自分」は両方忘れないでいたいものです。
でも、モチベーションは二十歳のころよりも上昇しています。好奇心も上昇しているし、「夢」というコトバは使いたくありませんが、ぐぐっと自分が「見えて」きています。結局、自分をいかに知るか、んでどうするか、なのではと思います。
ハナシは少しずれますが、僕は「仕事」でとても認められたい人です。で、それに伴った「ギャランティー」がすごく欲しい人です。第一義は「仕事」なんですが、やらしく言えば、たくさんの「ギャランティー」が欲しくて「仕事」で認められたい人間と言っても過言ではないです。きれい事はそんなに好きではないし、僕の性分ではないため本音を出すとこんな感じです。
きれい事は好きではないですが、泥臭いのも最近は好きではないです。要は中途半端が一番嫌いなのですが、僕がリーダーをしていたバンドの元メンバーや、同世代の「なんつって」アーティストを見ていると本当にイライラします。この年で音楽のギャラを1円ももらったことがないのに、まだ音楽にしがみついていていたりして。てか、単純に「もっと練習しろよ」って思います。
プロのアーティストよりも楽器に触れる時間が少なくて、何を気取っているんだって感じです。「ファッションでやっているのですか」と問いかけたくなります。意地でやっているか、夢見心地でいたいのか、どっちかだとは思いますが。そんなのに限って「ライブに来い」的な丁寧なお誘いメールが来るのですが、僕は「ツーマンライブか、業界関係者を呼んだプレゼンライブをやることになったら呼んで」と返信します。こうすれば、もうお誘いのメールが来ることはないです。付き合いで行くのはごめんです。「もっと評価されてから呼んでね」と思うのです。
僕は遅くなってしまったかもしれませんが、その辺に踏ん切りをつけて、転換しました。「目先の1年」より「遠くの10年」を選んでしまいました。若い人間からは、というか、僕自身もその時は「格好悪い」と思いました。やっぱり格好悪いのでしょうか。
当時、僕はこの2つを両立すると粋がっていました。当然、その理想は捨てていませんが、僕の第一義は「仕事」なので、自然に2つできなくなっていました。これは格好悪いものですが、仕方がないです。
自分の考えを振り返ってまとめながら書いているので、なかなか表現が難しいです。年始というわけではないですが、ブログでこんなに長文を書くのは久々です。
なんだかんだ書きましたが、トータル的には今年は「ワクワク」する年になりそうです。
結局「年始だから」で書いてしまいました…

