今年もノーベル賞の季節がやってきましたが、毎年毎年なんちゃらの一つ覚えのように「今年も日本人ノーベル賞受賞者はいるか!?」とか「村上某文学賞最有力候補!」とか新聞などのマスコミを賑わせている。

私的には、世の中の平和や人類の未来を良くするために貢献した研究なら別にどこの国の何人が受賞しようと構わなくないかな~と思うが。

・・・なんか、そこから儲けようとする性根が透けて見える感じがして、私は嫌なのだよ・・・。

特にアルフレッド・ノーベルと全く関係の無いあとから作られた「ノーベル経済学賞」なんか廃止して欲しいくらいだ。

日本人が唯一受賞していない賞らしくて、海外では「経済で大発展している日本から経済学賞の受賞者がいないのは不思議だ!」とか言われているのであるが、この賞はあくまでも「白人社会(欧米)から考えてみた経済の発展や新知識を生み出した人」への賞なので、まず基準がはっきりしない。

そして、経済の優劣を評価する指標や数式(エンゲル係数とか国民総生産=GNPとか)はもう既にほぼ完成されている。

ここからさらに進歩発展させるのは現在の資本主義社会の中では、ほぼ不可能に近い事であって、人類の生活様式をひっくり返すような主義主張が世に現れないと、個人の研究ぐらいではもう受賞できそうにない。

野村証券とか第一生命とかの経済研究所が『非常に画期的な経済指数の算出方法を確立』とかすれば貰えるとは思うが・・・。

 

さてここまでは前フリである。

そんな中で、ノーベル 「平和賞」は分かり易い。

①戦争や紛争、長年の内乱などの停止、終戦に貢献した人(か団体)

②長年人類の救済に(宗教、宗派、人種、国境、世代、性別を超えて病気や疫病、貧困に対し)活動をして功績のあった、あるいは功績があると認められた人(か団体)

以上。実にシンプル。

なるほど!そりゃあ平和になるよねぇ。

(戦争や疫病が存在する前提の賞なので悲しいっちゃあ悲しい事でもあるが)

で、今年7月に亡くなられたアラブ世界のお医者さんの話をする。

日本人にとってアラブの世界、社会というのが遠い世界の出来事で、あんまり馴染みが無いと思われるので紹介したい。

 

「モハメド・マシャリ医師」

彼は今年(2020年)7月28日に亡くなった。

註:Wikipediaで調べると何故か「モハメド・ミシャリ」という人物がやたら出てくる(何者なのかは知らない)。

エジプト出身の医学博士でもあるが、医療現場で活躍してきた「お医者さん」である。

彼は貧しい人々のために50年間無償で診察、治療を行ってきた人で亡くなる数日前まで患者の面倒を看ていた。

活動していた場所はエジプト国内のみならず隣国(リビア、チュニジア、スーダンなど)に及んだ。

クーデターが起き政権が変わろうとも、イスラエルとの戦争が勃発しようとも、アラブの春で世間が盛り上がろうとも、一切政治的な発言や行動をせずに医師としての歩を弁えて診察を続けた。

彼は患者の治療に全精力を注いだ。

医師になったきっかけは(あるいは無料で診療を始めたきっかけは)貧民街で糖尿病に苦しんでいた子供と出会ったからだという。

糖尿病治療に必要なインスリンをその子が購入できずに苦しんでいたので、インスリンを買うよう母親に進言したら、その母親も糖尿病で苦しんでいた事実が彼を動かしたようだ。

結局、その子は亡くなったが・・・。

文章で書くと「50年間無償で患者の治療を行った医者」と簡単だが、私は寡聞にして日本国内でマシャリ医師のような話を聞いたことがない。

別にだから彼にノーベル平和賞を!と言っているワケではない。

そういう人もいますが、今年の受賞者は本当にノーベル平和賞の名に相応しい人物なのですかね?と言いたいのである。