ジョサンコーのブログ -702ページ目

ダメダメ人生 2回目の堕落

さて、専門学校に入って、周りのレベルの低い人と高い人の差に
ビックリするとともに、自分は低いほうでもなく、高いほうでもなく
中ぐらいというのを再認識しました。

あ、専門学校はコンピュータ系です。

この進学のため大阪に行きました。

貧乏な親にものすごい負担をかけました。
親父、ありがとう。

はじめは、下宿しました。

下宿にはいろいろな地方からきていました。

自分以外は
岡山、広島、兵庫、和歌山、愛媛、香川

各方言も面白かったですが、やはり長崎の自分が
ダントツだったと思います。

また、ここの下宿が信じられないぐらいアクドイ商売をして
いました。
18歳の若者に出す食事に動物性たんぱく質は一切
有りませんでした。精進料理かってのヽ(`Д´)ノ

こうして、何も知らん田舎のガキからお金を搾取したこの下宿は
現在は立派なマンションを建て、のうのうと暮らしています。
大阪市東住吉区杭全のつち○め がそうです。(ヤバイかな?)

話がそれましたが、専門学校時代での堕落は
まじめに行ったのは1年の1学期のみでした。

2学期からは寝坊し放題
2年になっては欠席し放題・・・

よく卒業できたものです。

担任は『こいつは辞める』と思っていたそうです。


★暗黒の社会人1年目での堕落

初めての就職先もな、な、なんと筋金入りの寝坊で
無断欠勤をしてしまい、行きづらくなり辞めてしまいました。

最悪なクソ野郎です。同期の人たちにも心配をかけたうえ
裏切ってしまったのです。

ここからグダグダ人生の始まりでした。

でもまだ若かったから何とかなっていましたが・・・

あー、振り返るとほんと、最低な人間だ(>_<)
我輩の辞書には自堕落という文字しかない。

なんとか一般人になるまでの1年間は、また次回(x_x;)

ダメダメ人生 1回目の堕落

一部のセレブ・リッチな人々を除き普通は地元の小・中学校へ行き
自分のレベルに合わせて高校、さらには次の学校(大学・専門学校など)に
進みますね。もちろん就職する人もいます。

私は自分が行きたかった高校に、ぎりぎり入るかどうかというレベルで
もう少し頑張らないといけませんでした。

しかも通学は、かなり早起きしないといけないほど、時間がかかります。

それがいやで、すべり止めで受けた私立高校より偏差値が低い公立高校へ
入学してしまいました。

はい、ここで1回目の堕落がありました。

そこはそこで面白かったのですが、やはり半端な感じで終わりました。

人間、楽な方向に流れますが、我ながらダメダメですねγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ

後の人生に少なからず影響が出るというのに。
そんなこと、判ってなかったからな。 おめでたい馬鹿ガキでしたねガーン

全国の小・中学生のお父さん・お母さん、我が子に受験勉強だけでなく
社会人の
収入の事や、生活の基盤などの話をしたらいかがですか?

ロバート・キヨサキの『金持ち父さん・貧乏父さん』ではないけど
早いうちにそういった事を分からせるのは大切だと思います。

特に、成績も平凡でなんとなくぼんやりしたお子さんなら、です。(自分がそうでした)

次は専門学校・社会人初年度の堕落ですw


ダメダメ人生を振り返って プロローグ

私は今までの人生は、どちらかというと貧困な環境にいました。

子供のころは工員の家庭で育ち、新聞配達をしていましたし
親からはお年玉は有りませんでした。(常識?)

当時はそれでも特に 『食うに困る』 という事は有りませんでした。

欲しいおもちゃや、着る服などの制限はありましたけど(´・ω・`)

でも、このレベルの人は周りにいっぱいいましたし、もっと厳しい
友達もいました。

ま、とにかく子供の頃は自分の責任では無いので仕方ないとして
問題は、自分で働くようになってから、人生がどうなっていくかでしょう。

どう考えるか? どう行動するか? が大切です。

他力本願ではダメということです。他の人の意見はあくまでも参考です。
安易に乗ってはいけません。

けっこう深い傷を受ける場合もあるのです。
時としては取り返しのつかない状況にさえ陥ります。

それがいまの私ですショック!

特にこの四年間で、あっという間に落ちました。(いい年をしてパンチ!

次回から恥を晒していきます。