あふれてとまらない言葉を書き留めて昇華したい。

 

 

 目の前に現れる人は、自分の投影。

 

だとすれば自分のどのような部分を投影したのか、それに対して自分が一体何にモヤモヤしているのか書き出して整理したいと思った。

 

知人Aは、知人Bに対して、「あの人はマウンティングを取るからダメだ」と評価した。

私はBに対して「マウンティングをする人」だと感じたことはなく、言うなれば「学歴や肩書きなどを大切にする人だ」という印象を持っていた。

 

おそらく、A自身が「マウンティング」というチャンネルを持っているからこそ(自分自身が「マウンティングする人」だからこそ)、相手の言動を「マウンティング」ととらえてしまう。そういう意味でいえば、私はBと接するときよりも、Aと接するときのほうが、マウンティングとまではいかなくとも「自己主張したい」という自分の中の思いを浮き彫りにされることが多い。

 

実際に、Bの発言に対して「自分も主張したいと感じることはほとんどない」が、Aの発言に対しては「自分も主張したくなることが多い」。相性の部分もあるかもしれないが、特性の強さによって、同調する部分が大きいと感じる。ただあくまでもフラットに見る。

 

 

 人の行動をコントロールしようとする心理について。

 

 

またAはとても面倒見のいい人だけど、ときどきおせっかいすぎる部分に違和感がある。子供が進もうとしている学校の悪評を聞かせてきたり、こういう学校に行ったほうがいいと価値観を押し付けて、人の行動をコントロールしようとする。

 

「相手にとって有益であろう情報を共有する」行為は私も積極的にしたいと思うし、ありがたいことだと思う。だけど、自分の主張を通すためになにかを否定する必要はなく、何かを否定することで成り立つ情報というのは、語り手によって色のつけられた情報で事実とかけ離れていることが多い。また、人の事情に踏み込み過ぎている言動を不快に感じる。なぜならそうやって人をコントロールしようとする人は私の人生の「責任を取る」わけではないからだと思う。

 

人の行動をコントロールしようとする。という行動の本質には、どのような心理が隠されているのか。彼女の主張は、「自分の考えが正しい、あなたの考えは違う」だけれど、果たしてこれは事実だろうか?ある側面(たとえば受験戦争)においては、それが多数派であることもあるかもしれないが、多数派=正しいというのは事実ではない。

 

結論として彼女は不安なのだと思う。仮定だけど、「今の自分に十分満足している人、満たされている人」は「人をコントロールする必要がない」、人をコントロールしなくても幸せだ。幸せになるために、なにかを否定する必要がない。「なにかを否定しないと幸せになれない」のは、彼女が劣っているからではなく、彼女が自分自身を劣っていると思っているから(劣っていると思っているから優れていると主張したくなるから)だ。

 

 

 まるごと抱きしめたい。

 

本質を理解すると、「そんな不安をまるごと抱きしめられたらいいのに。」という気持ちになる。だけど時を経てふくれあがってしまった自分に対する欠落感は、トゲトゲ尖っていて、なかなかそう簡単にはいかないし、救えない。

 

そして不快感は「本来の自分から離れている」状態を示唆してくれる。「それは私の在りたい姿じゃない」ということが、ありありと浮かび上がってくる。目の前に現れる人は、「在りたい姿」を確認するための鏡で、これを映し出してくれることでまたひとつ「在りたい姿」が明確になっていく。

 

なにより会話をすることで気が巡る、新しいアイディアが降ってくる。モヤっとしたりイラッとしたりする感情すら、なんらかの行動を起こす「きっかけ」を与えてくれる。そういう自分のすべての感情に感謝してる、今日を共にできた人に感謝をしてる、今この手にあるすべてに感謝してる。

 

 

 

 年末からずっと調子悪い。なんかそういう時期なんですかね?

 

年末からすべてが停滞していた。昨日も、絶望を感じてなにもできなかったけど、今日になって、少しずつ動き出した。あれこれ考えずにとりあえず行動できるっていうのが、調子のよさのバロメータ。毎日どこかが痛い身体も、ここまでがんばってくれてありがとう。明日もよろしく。