――先に書いた、自らの理想とする男性像や恋愛像を原文の作品に投影して、悪く言えば、自分の都合のよい解釈の仕方で作品世界を再構築することこそ、「萌え」という概念の延長線上に存在する行為ではないだろうか。「萌え」の対象として様々な事象が氾濫している今の世の中で、和泉式部日記がその一つとしてカテゴライズされていても不思議ではないだろう。
結論として、和泉式部日記という文学作品は現代女性の「萌え」を投影するスクリーンとしての役割を果たし、そこに現代性を秘めているからこそ今もなお一つのエンターテイメントとして生き続けているのであると思った――
明日提出するレポートから抜粋。
一体何書いてんだ。。。
友人に「これ、ほんとに出すの?」と聞かれました。出します。
やっぱり俺はアホなんだと思う。
タイトルは「和泉式部日記のエンターテイメント性について」。
内容があるようでまったくないよう。
はい、ダジャレ締め。