あの日の晩御飯&あの頃の記憶
3・11のTVはいろいろな情報が発信されてました。「あの日の晩なにたべた?」っていうのがあったんだけど、「コンビニに行ったら何もなくて、とりあえず何か、、と思ってガムを2個買った」「ながれてきたヘドロだらけのカップ麺を生で食べた」「炊き出しのごはんをたべた」「庭で火を焚いてご飯を作って食べた」 などなど・・・。うちは、停電していただけでガスも水道も大丈夫だったからガスで土鍋を使ってご飯炊いて食べたなって思い出したけど、ほかに何食べたか忘れてました。娘に聞いたら、普通にカレーライス食べたよと。以前のブログ記事、停電生活をみてみたらそうだった、レトルトのカレーを温めて、ゆで卵もついてた。意外に、淡々と過ごしてたよ。(笑)東北地方は、被災したところ以外は、意外に普通の生活が出来ました。それでも東北自動車道の存在はかなり大きくて流通がかなり大変なことになっていました。スーパーには地元で調達できるくらいのものしかないし、とにかく、ガソリン不足は大変でした。ガソリンスタンドは行列ができていました。その年、娘は山形の大学に入学することになっていてアパートは地震の前の週に決めてきてたんだけど、書類の手続きにいくにもガソリンが・・・。調達が不安で延期してもらったり。山形市は、仙台市から高速バスで1時間ほどなので、仙台から通学している人も多く被災した学生さんも多かったです。当然、入学式も延期でした。あと、電池も売り切れでしたね。うちの娘のアパートはレオパレスには珍しいガス。ガスレンジの点火には単1の乾電池が必要なんだけど、電池がありません。(笑)電池も品薄でした。たまたま、ガス開通の手続きできてくれていた、東北ガスのかたが、タダで差し出してくれました。ありがたかったです。娘の引っ越しのために東北自動車道をかなり使ったんですが、道路はあちこちひび割れていて、路肩も崩れていたり、通行制限や速度制限もありました。閑散とした高速を走っているのは、ほぼ、自衛隊の車とタンクローリー。それも、九州や四国や遠いところのナンバーがついているタンクローリーが多かった。みんなが、手助けしてくれているんだと実感しました。本当にありがとう!って思いました。あの晩のレトルトカレーやゆで卵のように忘れないように、覚えていること書いてみました。長文失礼しました。(笑)