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夏休み日記 その2
(長野 昼神温泉編)

やっぱり家族夏旅行に行きたいねってことで一週間前くらいにGrouponで宿を取ったの。

長野 昼神温泉 「おとぎ亭」 http://hirugamionsen.jp/hotel/cat24/post-10.html
特別 長野って決めたわけではなく たまたま旦那が見つけたクーポンの宿が長野だった。という適当な感じでした。

Grouponの食事は二回ほど使ったことがあってイマイチだったので、そんなに期待していなかったけれど 今回は満足度かなり高かったです。
部屋も広いし 食事も美味しいし 嬉しいサービスや心配りがいっぱいでした。ネットに書かれるお客さんの感想に対して一つひとつ応えようと努力している姿が感じられました。
一万円を切る値段でのこのサービスは大変満足の宿で子供達も大喜びだったし嬉しかったな。
宿のすぐ近くで開催される朝一も農家の直接販売で安くて新鮮な野菜がたくさん! いろんな方が出店されている中90歳の農家のお婆ちゃんの所で野菜を購入。オマケをいっぱい付けて貰っちゃたよ。値段は道の駅の半額くらいでした!これも良かった~

地域の下調べもほとんどせずSAで貰ってきた無料のパンフと旅館や行く先々で人に尋ねた情報だけで回った今回の旅は行くところみんな楽しめて とっても満喫できました。

天竜舟下りは 絶対おすすめです。
宿から往復バスが出ていましたが私達はチェックアウトした後、車で行きました。受付で船着場から駐車場まで無料バスで送ってくれると聞き安心♡

30分の乗船。濁流ポイントめちゃ楽しいし 風がちょ~気持ちいい! 息子は飛沫除けを怠けてびっしょりになって喜んでおりました 笑。 そう!舟に乗る時は慌てず1番最後に乗ることをお勧めします‼
なぜなら動き出すと回転して先頭になっちゃうのだ。ラフティングもイイけど風情も楽しめてこちらで良かった~♪
お友達になった船頭のジュンさんに教えてもらった天竜川沿いのお洒落なCafe「梅福」ここはかなりの穴場では⁈ 真下に天竜川が流れているし、かなりナイスな処でしたよ!
本当はお蕎麦を食べるつもりでしたがランチのポケットサンド…中身のコンビネーションが全て好物!美味し過ぎて息子は自分のおこずかいで追加注文してました。(もらうの忘れてた!)
エステもやっているそうですよ。

それからそれから ジュンさんに聴いて来ましたと告げるとイイコトありますよ。って言われたので実行してみたら本当にめちゃイイコトありましたぁ~!

天竜舟下りFB限定100名の手拭いもGetできちゃったし♡ 正月のおみくじでトリプル凶を引いた家族とは思えないぜっψ(`∇´)ψ
ジュンさ~ん 本当にありがとう!
福梅さんもありがとう~~!
今回チョイスした舟下りはスリルがある方。ゆったりが好みの方は「天竜ライン下り」です!
激しいのがお好きな方は船頭さんに目配せすると たっぷり濡らせてもらえるみたいです 笑

午後からは私のリクエストで昼神温泉に戻り TOKARAという和太鼓グループの無料演奏を聴きに行きました。これも現地調達の情報でしたが大当り~♪ 素晴らしい演奏を堪能させて頂きました。
特に小学校和太鼓クラブで代々引き継がれている三浦半島の太鼓を披露してくれて娘も私も大興奮! 子供達の演奏しか聴いたことなかったから娘もとても勉強になったと思うわ。
この方達はこの地域を拠点に世界中を回っているそうです。代表のアート リーさんは昨年 大太鼓で大きな賞を貰ったみたいです。いやいやラッキーでした!http://hirugamionsen.jp/event/tokara8130.html

太鼓といえば…初日も宿の近くの「かぶちゃん村」で 駐車場に停めてすぐに息子が「あれ⁈ Soraが聴こえる‼」って「まっさかぁ~」ここは長野だぜ? でも耳を澄ますと間違いなくあの馴染み深過ぎのメロディSoraの鼓童バージョン! まさか⁈ 誰が⁈

はい。それは場内スピーカーから流れるBGMでした~(#^.^#)LIVEをちょっと期待しちゃったけど … でも こんな場所で鼓童のお出迎え! びっくりでした。縁があるのかなぁ~ 佐渡ECにいつか必ず‼
ちなみに鼓童BGMはエンドレスで帰るまで流れておりましたww
入場料大人800円だけで 場内のあちらこちらに置いてある遊び道具をフル活用すればかなり遊べて盛り上がります!
私達酒好き夫婦は地酒 喜久水のお酒の試飲で盛り上がり~ ww
因みにココの本来のコンセプト(?)は厄除け開運のワンダーランド。そちらの方は真剣にやらなかったけど 今回の楽しい旅は最初に立寄った此処のお陰かもしれませんね。
そう…大好きなLIVE演奏もありました!この日は二胡の演奏。
これまた私の大好きな楽器ではないかーい♡♡ 演奏者はウミタコさんという方でした。
子供達が繭でマスコットつくっている間に抜け出して聴いて来ました。リクエストしたわけじゃないのに全部お気に入りの曲ばかり…
山と夏の青空に二胡の美しい旋律が響き渡り最高の時間を頂きました。

みんなのところへ戻るともう仕上がっていた!旦那は寝ていた!
2人ともネコ。息子は白い繭を筆ペンで丁寧に黒く塗り潰し 愛猫ベルのストラップが生まれておりました。娘の作品も穏やかな表情の可愛い白ネコちゃん。
お世話してくださった女性の方に墨でテーブルを汚してしまったことを謝ると、こんなに手を掛けて作った人は初めてですよ!私も嬉しいです! と言ってくださり 私も嬉しくなってしまいました。

山間にひっそり営む「かぶちゃん村」。
のんびりまったりしたい子連れ家族にはお勧めです。

さてさて 話は戻って太鼓演奏では太鼓も叩かせて貰いこれまた大満足~♪
山の景色を眺めながら…
やっぱり太鼓は気持ちイイ~‼

と ここでも満喫した岡部家御一行。もう陽も暮れて参りました。

いつもだったら明日の仕事を考え長距離運転する旦那さまは家路に向かいたいところ、私が運転するから‼ と頼み込み、今年の8月から始まったらしい星空ナイトツアーなるものに行くことにしたのであ~るψ(`∇´)ψ
http://mt-heavens.com/p/?page_id=5187

冬はスキーヤーを運ぶゴンドラ。
出発するのは夜の7時半。山に囲まれた真っ暗な中を15分。灯りは一切無し。こんなことも初体験。スキーのナイトはやっていたけど周りは明るいからね。
さて到着地は標高1400m ここには施設もあり、照明も点いておりました。
気温は想像した通り日中の暑さがウソみたいに肌寒い。上着を持参してきて良かった! 降りた先に芝生があってビーチベッドを早足で確保。夜露で下が濡れるから確保できて良かったよ。レジャーシートも貸してくれますが厚めの物を持参した方がいいかもです。さて…夜空にはたくさんのお星さま♪ 今夜のお客さんが全員ゴンドラから降りた時点でゴンドラもストップ。そして全ての照明を消すんだとか!
それまでの時間は辺りを散策…点々と照明が点いていて薄暗い感じ。ここは昼間は花を観たり小さい子向けの遊具があったり 山の中を散策したりと楽しめそうな場所。
8時半!案内の方が「照明を消しますよ~!」 の合図で照明が落とされると……

「うわぁ~~~っ スゴーイ‼」

小さい子連れの家族も多くて大歓声。そして拍手~~‼

ほんとーーに びっくりです。
これだけの星がどこに隠れていたの⁈⁉ って感じ。

プラネタリウムに行ったことある人は知っていると思うけど 最初は街の明かりが点いている夜空を観せて、その後で消した時の満天の夜空を観せてくれるのですが、正しくその本物が頭上に広がっているわけです!

私は これをみたかったし、家族にみせたかったの。
25年前に訪れた沖縄の名所で初めて観た満天の星空が忘れられなくて。
流星なんてビュンビュン飛び交っている本当の空。

あの時とは視力も落ちているし様々な条件も違うから比べることは出来ないけれど やっぱりそれはそれは素晴らしい眺めでした。

旦那は視力がめちゃくちゃいいみたいで、一人でボソっと「あ。流星…あ。また流れた…」と呟きながら堪能しておりました。
誰も気づかないのに… アフリカン⁈

「 街でもさ 全部の家とか電気消す日とかあったらいいのに‼」
と息子。

でしょ? お母さんも本当にそう思うの。これほどにもったいないことは無いって。

星のガイドさんが レーザーみたいなハイテクな道具を使って星を指し示しながら解説もしてくれました。 冬の第三角とか色々… 勉強になりましたよ~ ガイドの方が本当に嬉しそうに星の説明をする姿が微笑ましく好印象でした。
他の場所でも長野の観光業の皆さんは仕事を楽しんでやっていらして、こちらもとても気持ち良かったです!

丁寧な星の説明も終り ちょっと静かな場所でも眺めたいなぁ~なんて思ってみんなと離れて真っ暗な道を辿りひと気のない所で寝っ転がって暫し宇宙と交信ww

本当に何時間でも観ていられるわ…… なんて思いながら浸っていたら 側の真っ暗な茂みからガサガサッ!って音がぁぁ~!
すぐさま飛び起きて 来た道 猛ダッシュで家族の元へ戻ったのでありました
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘

へへ…
安心できる場所があるから いつもふらふらフワフワさせてもらって居るわけよね。。。
感謝 感謝☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

ナイトツアー終了時刻の9時過ぎに一斉に照明が点いた。

その途端、あの夜空に散りばめられた小さな無数の星達が消えた‼

なんだかマジックみたいだった。

動き出した暗闇に浮かぶゴンドラに再度乗り 下山したのでした。
見上げてもあの満天星空はないのでありました…

あ、ここでも特典ありましたよ。私が宇宙と交信している間に子供達は期間特別で「星のつかみ取り」とやらをやらせて貰ったみたいで、戻ったらストーンチョコをいっぱい抱えてご機嫌な娘がおりました。
手の大きなお兄ちゃんがいて良かったね

他の季節にも行ってみたいな~!

そして暗い駐車場に健気に黙って待っていてくれた愛車のボンゴ君に再会。後部シートを平らにして(本当は違反です) お休み使用にチェ~ンジ! ガソリン大好物のボンゴ君なんですが ウチの無軌道家族旅行には欠かせないパートナーなのです♡ でも…さすがに真剣に街乗り用の電チャリか原チャリを検討中ですがσ(^_^;)

途中 娘の大好きなお土産屋さんにも寄ったり 休憩しながらホームに向かいました。

運転も1人でキツイかな?と思ったけど 全然大丈夫でした。
iPhoneから音楽流し 時間が時間だけにノーストレス ドライブ♪ しかも深夜割引半額ψ(`∇´)ψ
お陰で旅で受けた感動を消されることなく家まで帰ることができました。 途中 背中が少し痛くなってきたのでペットボトル(中身入)をシートと背中に挟んだらスゴく気持ちよかったよ~ これ又お勧め!

また この間と同じ午前3時頃着。
後部ベッドシートで寝ている三人はあんまり熟睡しているので そのまま放置。笑

後で気づいたのですがこの時間の星は南方の空、夏の大三角が低く降りてきて輝きが増して見えるみたいですね。もし起きていることがあったら空を見上げてみてね!

そうだ! すっかり生活必需品になってるiPhoneですが、SoftBankがプラチナバンドだっけ?変わったからか電波がバリバリ入り助かりました! 今までは山の中なんて全く役立たずのGPSが超役に立ちました! 孫さんにも感謝~♪

そうだ。元善光寺にも行きました。
お宝の釈迦の涅槃像にも手を合わせて参りました☆
お釈迦さま、 仏法は宇宙そのものですよね!

宇宙に感謝‼

両親に感謝‼‼

日本の田舎 ばんざ~い( ´ ▽ ` )ノ


















iPhoneからの投稿
いつ頃読んだのかも、誰かに借りたのだったか、買ったのかも思い出せないけど、その本の繰り返し読んだ一編にまた呼ばれた気がして、どうしても書き留めておきたくなった。





今日は死ぬのにもってこいの日だ。
Today is a very good day to die.

生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。

Every Living thing is in harmony with me.

すべての声が、わたしの中で合唱している。

Every voice sings a chorus within me.

すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。

All beauty has come to rest in my eyes.

あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。

All bad thoughts have departed from me.

今日は死ぬのにもってこいの日だ。
Today is a very good day to die.

わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。

My land is peaceful around me.

わたしの畑は、もう耕されることはない。

My fields have been turned for the last time.

わたしの家は、笑い声に満ちている。
My house is filled with laughter.

子どもたちは、うちに帰ってきた。
My children have come home.

そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
Yes, today is a very good day to die.


… … … … … … … … …
              
たとえそれが、一握りの土くれであっても 

良いものは、しっかりつかんで離してはいけない。 

Hold on to what is good

even if it is a handful of earth.


たとえそれが、野原の一本の木であっても 

信じるものは、しっかりつかんで離してはいけない。 

Hold on to what you believe

even if it is a tree which stands by itself.

たとえそれが、地平の果てにあっても 
君がなすべきことは、しっかりつかんで離してはいけない。 

Hold on to what you must do

even if it i a long way from here.

たとえ手放すほうがやさしいときでも 
人生は、しっかりつかんで離してはいけない。 

Hold on to life even when

it is easier letting go.

たとえわたしが、君から去っていったあとでも 

わたしの手をしっかりつかんで離してはいけない。 

Hold on to my hand even when

l have gone away from you.


金関寿夫訳               







iPhoneからの投稿
みなさん 明けまして おめでとうございます。

今日も陽が昇り、2012年が穏やかにあけ、三が日も過ぎましたこと

やっぱり素直に喜びたいです合格


今年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。


mixi日記、アメブロ・・・・ 最後に書いた日付は昨年の5月30日

本当に久しぶりになります。


昨年の大震災はあまりに衝撃でした。

多くの人と繋がっていたい。 情報を共有したい。

という気持ちが強く高まって、PCから離れることができず、

twitterやいろんな方のブログなどから情報を集めてはせっせと発信していました。 

そう、ほとんど寝ず。 家事もほっぽらかし。 

それほどに一大事だと感じたのです。 

沢山の人に知らせなくちゃ!とアメブロも始めたり・・・

情報を発信することが、自分の使命なのだと!


でも、途中で書けなくなった。


もちろん、今でも一大事には変わりないのだけど

放射能の影響について情報を集めているうちに

正直、気軽に発信するのは危険だなと感じだしてから、控えるようになってしまったの。

学校の役員の仕事も本格的に動き出し、集中したかったし。 

家の中もスゴいことになっておりましたしね。。。

だけど、日記、ブログがほっぽらかしになってしまって、ずっと気になっていたの。 

スマートフォンにしてからは、みんなの近況を見ることや、つぶやきはしすくなったけど

日記やブログを書く気にはなれなかった・・・ 
 


この数ヶ月、震災をきっかけに今まで知らなかったこと、沢山勉強させて貰いました。

もうそれはそれは目からウロコどころではなく、原発のことを調べていくうちに

自然エネルギーのこと。政治のこと。放射能のことから食に関すること。

いろんな方々が行なっている社会活動。 地理の勉強にもなりました。 

前から興味のあったアセンションのことも、資本主義社会を動かしている源の話などなど・・・

本当に気がついたら広がりすぎちゃいましたwww

まぁ みんな繋がっていたんだな。 と学んだのかな

そうは言っても記憶する力の弱い私の脳(言語や数字)は相変わらずなので、

人を説得できる話ができるわけでもなく、自分のなかにストンと落ちたことだけを感覚で信じるだけ。

勉強したなんて、言えないかもしれないけど考え方は確かに変わりました。

何かを選ぶ基準も。


日本という国が誰かの支配から脱却できるその日はきっと来る。

その時には原子力なんかに頼らない社会はやってくる。

日本人は表立って声を上げるのが苦手だけれど

平和を好み、自然を愛する気持ちは強いから

きっと、その選択を間違えることはないと信じてる。

だから、私も安心して普通に当たり前のこと、やっていこうと思います。

それが優先で

そう。 当たり前のことがあまりに出来ていないもので(汗)

さてと・・・これだけ打つのに何時間PCの前にいるのかしら。。。

不器用な人間なんです。 ホント。。。


最近は可愛い甥っ子や姪っ子がやっていることもあり

FaceBookになんでもない、家族ネタをつぶやいたりしています。


日記やブログもまた書こうかな。 

肩の力を抜いてねにひひ


その時は読んでくれたら嬉しいです。

みんな いつもありがとう。


  大好きです 黄色い花


                                    明子

広瀬隆さんの話です。 転載します。

これですよね!


2011/06/15 12:25日本とわたし

現在の反原発運動についてひと言申し上げます。みなさんにもこれを広めてください。


電力会社の原発はほぼ5000万kWだが、
今夏のピーク時には、福島第一が廃炉になり、福島第二、東通、女川、東海第二が全滅し、
浜岡が停止、柏崎刈羽が3基再起不能で停止、さらに全土で定期検査中の原発が運転再開不能のため、
事実上1300万kWしか稼働しない状況にある。

この頼りない原発より、資源エネルギー庁が公表している産業界の保有する自家発電6000万kW(昨年9月現在)のほうが、はるかに大きなバックアップとしての発電能力を持っている。

「原発の代替エネルギーとして自然エネルギーに転換せよ」という声が圧倒的に多いが、
日本人が“快適な生活”をするために使っている電気の大半を生み出しているのは、現在は火力発電である。
この火力発電は、日本においてきわめてすぐれた世界最高度のクリーンな新技術を導入しているので、何ら問題を起こしていない。
決して原発が、電力の大半をになっているのではない。
原発は事故続きで4分の1も発電していない。

自家発電をフルに活用すれば、このすぐれた、クリーンな火力だけで、「まったく現在のライフスタイルを変えずに、節電もせずに、工場のラインを一瞬でも止めることなく」電気をまかなえる。
これは、将来、自然エネルギーが不要だと言っているわけではない。

多くの人が抱いている「自然エネルギーで代替しなければ原発を止められない」という、現在の反原発運動の固定観念は、まったくの間違いである。

将来のエネルギー構成をどうするべきかについてはここで論じないが、
原発を止めるのに、選択肢の一つである自然エネルギーは、今のところ特に必要ではない。
つまり、産業界を味方につけて自家発電をフルに活用し、原発を止めることのほうがもっと重要である。

週刊朝日6月10日号で私が特集したように、週刊朝日の記者が各電力会社に取材した結果、興味深い電力需給について裏の構造が明らかになった。
全国で、電力会社が他社受電の発電能力を秘密にして、取材にも答えようとしなかった。
特に九州電力だけは、「発電設備ごとの能力の内訳は公開していない。経営戦略情報なので教えられない」と、火力・水力・他社受電(自家発電からの買い取り)・原子力の内訳さえも答えないというトンデモナイ非常識な態度をとった。
この九州電力が、原発を動かせないので夏に電力不足になる、と言い立てている。

なぜ電力会社は、これら当たり前の事実を隠そうとするのか、という疑問から、ここで重大なことが明らかになった。

それは、「電力会社が自家発電をフルに利用すれば電力不足が起こらない」、
この事実を国民に知られると、産業界からも、一般消費者からも、「送電線を自家発電の民間企業に解放せよ!」という世論が生まれる。
そして制度が改善されて、誰もが送電線を自由に使えるようになると、地域を独占してきた電力会社の収益源の牙城が崩れる。
送電線の利権だけは、何としても電気事業連合会の総力をあげて死守する必要がある、と彼らは考えている。
九つの電力会社にとって、福島原発事故を起こした今となっては、原発の確保より、送電線の確保のほうが、独占企業としての存立を脅かすもっと重大な生命線である。
そのため、自家発電の電気を買い取らずに「15%の節電」を要請するという行動に出てきたのである。

したがって日本人は、「自然エネルギーを利用しろ」と主張する前に、
「送電線をすべての日本人に解放せよ!」という声をあげることが、即時の原発廃絶のために、まず第一に起こすべき国民世論である。
何しろ、送電線が解放されて、安価に送電できなければ、自家発電ばかりでなく、自然エネルギーの自由な活用もできないのだから。

原発廃絶は、反原発運動の自己満足のために実現されるべきものではない。
産業界も含めた、すべての日本人のために進められるべきである。  

広瀬隆



村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下)

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)

毎日新聞