ウオノメです。
またもやご無沙汰してしまいました。
先日あまりのwifi環境の悪さに苦言をていしましたところ、
なんとなく良くなったのは気のせいでした。
相変わらずのネット環境悪です。
が。
今日は我慢できません。
悪について書こうと思います。
日本でも大きなニュースになっているかと存じますが、
デンマークの首都コペンハーゲンで銃撃戦により2名の方が亡くなりました。
テレビもラジオも今デンマークではこの事件でもちっきりです。
チャーリーエブド事件を受けて、
『風刺』という言葉について少し。
wikipediaさんが風刺について良い説明をされていたので転記させていただきます。
『風刺(ふうし、諷刺とも)とは、 多くの場合、
変化を誘発あるいは阻止する意図をもって、主題(人物、組織、国家など)の愚かしさを暴きだし嘲弄する、
文章・絵画・劇・映像等さまざまな文化的領域で使われる表現技法である。
ケルト人の社会において、吟遊詩人の風刺は呪いと同様の物理的な効果をもたらしえると考えられていた。
技法としてパロディと似ている面もあるが、同義ではない。
パロディは滑稽な効果をもたらすために、誇張された方法で他の芸術作品を模倣するユーモアの一形式である。
それゆえにパロディは何らかの模倣による表現であるが、風刺は必ずしも模倣ではない。
また、ほぼ全てのパロディは必然的にユーモラスな調子を帯びているのだが、風刺はユーモラスである必要はなく、事実多くの風刺作品は悲劇に含まれる。
風刺の主要な目的は政治的・社会的・倫理的な変化の誘発(もしくは抑止)であり、ユーモアは二次的な目的となる。
ユーモアを含んだ風刺は、巧妙かつ偽装的であり、いわゆる「笑えない」要素を含んでいる。』
『風のように刺す』もしくは『風で刺す=手を汚さず傷を与える』
と書いて風刺。
使い方によっては攻撃の一つの手段になり得る。
キオスク等手軽に買える
フランス紙チャーリーエブドはかの事件後、
多大なセールス記録を更新中。
ビジネス目的の攻撃といった手法は
戦争と変わらない方法です。
原則、偶像崇拝を禁止している宗教にあたって、
顔の無い神を信じる事が如何に強い信念のもとに何世紀にも渡って行われているか
よほどの強い信仰心がなければならないのは自称無宗教家にも想像できる範囲かと思います。
いかなる宗教であれ、
その崇高な信念を侮辱し、他人を攻撃する事をビジネスにするのは
いかがなものかと個人的には思うのです。
言論の自由を欧州諸国は主張しますが、
それは全世界全人民のスタンダードではありませんし、
ましてや歴史を紐解けばそれは多くの命の犠牲の上に作り上げられた、
市民が自国の国家権威に対抗する為の獲得事項であり、
反抗の基、造られたものです。
元は彼らも持ち得なかったものを今、
当然かつ公然の自己主張としてそれを持たざる相手に振りかざしているのと同じかと。
もちろん報復として殺人を選ぶのは宗教以前に人として間違っています。
時代が進むにつれて人の想像力はどんどん衰えて行っているのではないでしょうか。
果たしてこの風刺画にまつわるビジネスは命を賭ける程のそれなのでしょうか?
このようなヘイトスピーチが生んだ物は結果的に現実としての殺傷です。
自称無宗教派の多いデンマーク人ですがもちろんその中には信仰深い人々もいらっしゃいます。
時代が進むにつれ宗教も思考も人種も多様化し、
衝突の種が出来るたび『理解力』と『想像力』が要求されます。
ヘイトスピーチは私のような一般市民の小さなコミュニティー、
個人のレベルの生活にも存在し、
それが誰もが予想のつかない形で事件と化す可能性を、
常に私たちは保持していると考える必要があるかと思います。
今一度、言葉の重み、表現の影響力を考えてみる時期に来ているのではないでしょうか。
2015年今日以降、
これ以上の事件の拡大が防がれる事を願ってやみません。