こんばんは
1月10日 母が天国に旅立ちました
年末からほとんど食べられなくなり、年明けには医師から終末期である事を告げられました。
それからは毎日面会に行きました。
終末期には酸素マスクと点滴はお願いしていました。
点滴は悩みました。
最後には点滴も入らなくなって、水分でむくんでしまう、肺にも水が溜まるかも、と聞いていたので。
亡くなる二日前は血中酸素も悪くはなく、起きれない、しゃべれないものの呼びかけにはうなずいて、こちらの話は理解しているようでした。
顎呼吸になり、もうろうとして来ている…
当日は面会に行くと血中酸素濃度が60前後になっていてもう終わりが近い感じでしたが、脈はまだしっかりしていました。
話しかけても反応は無く、ただ静かに呼吸をしていました。
ちょうど母が大好きだったNHK正月恒例のウィーンフィルニューイヤーコンサートの再放送をしていたので、母の耳にイヤホンを着けました
面会時間が終わり、バスに乗っていると施設から電話がかかって来て、バスの中でしたがこれは緊急だと思い電話に出ると、もう危ないと言うのです。
慌てて引き返し、母の所へ行くと、まだ頑張ってくれていました。
間に合いました。
脈が無くなってはまた戻りを繰り返し、段々とその間隔が長くなり、戻らなくなり…
耳は最後まで聞こえているそうなので、何度も感謝を伝えました
以前、父の施設見学の時に介護士さんが教えてくれました。
自然に亡くなる時は
飲食が出来なくなり、体が段々と終末に向かって行く。
内臓、脳、段々と活動を低下させて行く。
脳の活動低下でいわゆる「お迎えが来たのが見える」ような状態だそう。
顎呼吸は苦しそうに見えるけど、苦しい感覚も衰えているので、見た目程苦しくは無いそうです。
そして静かに命を閉じて行く
これが本人にとって楽で、とても良く出来ている命のシステムなのだなと思いました。
病気で苦しい最期でなく、母はその通りに最期は静かに穏やかに旅立ちました。
大病を沢山しましたが、一番穏やかな最期で良かった
色々な後悔もあります。
めまいで介護ができなくなったとは言え、施設に入所させた事で早く衰えさせてしまった
せっかく関西に来たのにコロナ禍であまり外出させてあげれなかった
コロナ禍が終わった時には母は足が弱って、私はめまいが悪化して楽しい思いをあまりさせてあげられなかった
溺愛してたネコと引き離してしまった
亡くなってから葬儀場から母をお迎えに来てもらうやりとりから始まり、葬儀の打ち合わせや親戚とのやり取りなど、あまり悲しむ余裕も無くて、しかも疲れてめまいが悪化
今ちょっと落ち着いたところで
後悔や悲しみがどっと押し寄せて来ました
やれるだけやったんだと思う反面、もっとできたんじゃないか、他の道があったんじゃないかと色々な思いがぐるぐるしてしまいます
時間が経てば落ち着いてきて
気持ちも整理出来ると思います
今は頑張った母に
安らかに、そして本当にお疲れ様でした。
ありがとう。
そっちには姉ちゃんもいる、おじいちゃんおばあちゃんもいる、母の兄達もいるから、みんなで楽しくやってな