ひとはなぜ服を着るのか
そんなことを考えた。
『ファッション』というキーワードからそれを語ると
受け入れがたい・・・そんなバイアスを感じられてしまうことがあります。
『ファッション』はなにも特別なものではないのに
センスやスタイル・モードなど、そのワードが含むニュアンスから、
それを少々難しいものと捉えられてしまう傾向があるのかもしれません。
『センス』がある、ない。
『モード』がすき、きらい。
『ファッション』には食傷気味・・・
別に『服』になんか興味ないし・・・
そんなキーワードに目の当たりにするたびに
こころが寂しくなる気がします。
ひとはなぜ服を着るのか。
まぁ、裸では外に出るのは憚れるし・・・
なんていうナンセンスな意見は今回おいておきましょう(笑)
ひとはなぜ服を着るのか。
ボクは成りたい自分があるから服を着ます。
一日一日のコンセプトを貫くため。
TPOを守るため。
自分らしく在るため。
ときには変身級の冒険をたのしむため。
『成りたい自分』
『在りたい自分』
意志表示のために服を着ます。
服を自分に・自分を服に投影するために選びます。
上記したキーワード『赤字』部分を『自分』に置き換えて
ボクはファッションと向き合っているため
それらと目の当たりにするたびにこころが寂しくなる気がするんです。
それでも、何時になっても完成した達成感を得られないで
どの時代にも、新しいスタイルを挑戦したくなるのは
ボクはまだまだ『自分探しの旅』をしている途中だからなのかもしれません。
トレンドやスタイル、モードやコンサバ、コーディネートなど
細かな意志表示の手法はその人それぞれが選択するべきもの。
『~でなければならない』
この論法はある一定のルールに則ったシーンでしか通用せず
基本的に、身に纏うものの『意志』が尊重されてしかるべきかと。
ただ
ひとはひとりでは生きられない生き物ゆえ
その意志を目の当たりにするものへの配慮は必要不可欠。
そう。
あくまで、インタラクティブな記号。
だから
ひとが服を着るのは
コミュニケーションと同じことなのかもしれませんね。
ボクは服を着る行為そのものも大好きだ。
ファッションとは
楽しくなければ意味がないコミュニケーションツールです。
世の中にこれだけたくさんの服が存在するということは
それだけ、成りたい自分を叶えてくれるピースがたくさん揃っているということ。
おもいっきり
ファッショナブルな人生を
送りましょう![]()
ではでは
こつかもとひろ
