どこかでこんなやりとりを聞いたことはないでしょうか。
学生「数学なんて社会の役に立つの?」
社会人「考え方の整理や論理的思考力、課題解決能力に役立つよ。」
一理あります。けど私はこの社会人の回答に違和感を感じました。理由は明白、この人は数学を勉強する事に対する副次的な効果しか回答していないからです。いや、正確にはこの人自身が数学を勉強する主たる意義を実感できておらず社会人になって以来、仕事のなかで「数学を勉強していてよかった。」と感じた事がないからでしょう。この回答をする人の思考回路はこうです。「数学を勉強して社会に役立つ事を考えよ。」という命題に対して自身の社会人経験を振り返り、その中で最も近しいと思われる解「考え方・論理的思考力・課題解決能力」を回答として採択する。そして世間の大半はこの思考回路をテンプレートのように持ち合わせています。
では主たる効果とは何なのでしょうか。この文をお読みの方の中に研究職やアナリストの方がいらっしゃれば解は明白でしょう。「実際の業務の中で高度な数学的課題を解決する必要があるから。」という単純明解な回答です。「英語なんて社会の役に立つの?」という問いに対して「実際の業務の中で英語でコミニュケーションをとる必要があるから。」と回答する事と何ら変わりありません。
研究職やアナリストでもない”営業”だから関係ないという方。私はそんなあなたに対してこの文を読んで考えて欲しいと思っています。私も新卒で社会人となり数年間、営業職だった時期があります。ルート営業として営業戦略を考える上で、しばしば要因を分析(今となっては”分析”という呼称を使う事が恥ずかしいくらいですが)する機会がありました。私はこの”分析”のフェーズで間違った結論を出してしまう人が多くいたと当時を振り返って思い出します。それは私が営業職から部門長直下の営業戦略という職についていた時に営業組織のリーダー層に対しても感じたことです。どこが悪いのかということに関してはあげるとキリがありません。例えば、「母数が記載されていない円グラフで良し悪しを判断する。」「前年の総量や当時の情勢、特異性、時系列など一切考慮せず前年比が100%を割っていれば悪いと判断する。」「やりたい事が先にあってそれに持っていくために強引に数値を誘導する」などなど。ここではあえて「計数の暴論」とでも名付けましょうか。この計数の暴論が原因で最適な営業戦略が見出せず、的外れな営業ばかりを繰り返してしまった人が沢山いたというのが、私の経験談です。昨今の世の中では定量的に物事を把握できるという点で計数が広く社会に受け入れられていますが、その大半は計数の暴論によって捻じ曲がった結果を生み出してしまっていると感じます。むしろ勘と経験、度胸、ハッタリだけで活動した方がましなのでは?と思うくらい悲惨な結果を生み出す場合もあります。あるいは計数を用いることに社会人的スキルを感じ悦に浸っている人(扱っている内容や分析はまるでデタラメ)も少なからず存在しています。私は計数が得意だと豪語する営業の方に問いますが、例えば時系列の変動分解、重回帰分析、分散分析をできますか?どれも大学の統計学の授業で文理問わず学習できる内容です。できるとお答えになった方は十分数学の大切さについて理解していらっしゃるとお見受けします。そんなことわからないが、既存の知識で円グラフや折れ線グラフにすれば大抵のことがわかるという人はこの計数の暴論に気がついていません。気がついていたとしても解決方法を見出せていません。以上は私の社会人としての経験談にすぎませんが、メディアや世間の動向を観察する限り、様々なところでこの計数の暴論は発生していると推察できます。
だから、たとえ営業であっても数学の勉強が必要なのです。
正しい計数ができるためにはせめて大学教養の数学くらい軽くこなせる能力が必要です。
最も正しい計数なんて数学の世界からすれば基本中の基本だし、数学を使いこなせると大半の人が解決できない難解なビジネス課題を定量的に解決に導くこともできます。
最初の質問に戻ります。
もし私が「数学なんて何の役に立つの?」という質問を学生から受けたなら、私はこう答えます。
「仕事で数学を使う必要があるから」
