4日に終わった競泳で、日本は11個のメダル(銀3、銅8)を獲得した. 事前の目標は「金メダルを含むメダル8個以上の獲得」. 3大会ぶりに金メダルがなかったことで平井伯昌ヘッドコーチは「目標達成とは言えない」と述べた. メダル数は北京五輪の5個から大幅に増やし、米国に次ぐ2位. 豪州、中国を上回った. 1932年ロサンゼルス大会の12個に次ぎ、36年ベルリン大会に並ぶ日本史上2位タイの大健闘. 戦後では最多の数で、代表27人中11人がメダリストになった. 大会に入ると主将の松田丈志(コスモス薬品)を中心としたチームワークが選手を後押しした. air jordan 4 試合会場の練習控室が狭かったため、全員が使えなかった. 当日にレースがある選手が集中できるように優先して使わせ、ベテラン選手も試合のない日はプールサイドで練習準備をした. 最年長で29歳の北島康介(日本コカ・コーラ)をはじめベテランが若手に積極的に声をかけ、ほとんどの選手は応援で声がかれていた.