造反有理のブログ

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第60回YEBISU亭に行って来ました(28日、恵比寿ガーデンプレイス)。
http://www.markmasako.com/top.htm?_fsi=hTPtxbil

 

最初にYEBISU亭を聞き始めたのは、7,8年前でしょうか。
何かで当選して、後ろの方で聞いていたら、
音響はちょっとよくなくて、何か会場もくすんでいた印象だったけど、
普通の落語会とは違う楽しさがあって、
ほぼ毎回通ってきたのでした。
その後、音響も改善され、部屋の内装自体も明るくなったような気がします。

くすんだ雰囲気は全くなくなりました。

 

 

ところで不思議なのは、演芸情報誌の「かわら版」です。
何で、こんな豪華顔ぶれで、しかも毎回満席に
なるような落語会が取り上げられないのかな、と。
「まめかな寄席」もユニークな割に取り上げられていない
ようですが、あちらは小屋が小さいですからね。
こちらは、恵比寿ガーデンプレイスの立派な会場
なのに。昔取り上げたからもういいか、ということなのでしょうか?

 

 

さて、今回は
古今亭菊之丞 柳家喬太郎 ゲスト:上妻宏光
と、すぐ売り切れになったのも当然という顔ぶれでした。

 

 

ただ、前回も思ったのですが、上妻さんの出番が短すぎ。
これは本人の意向でしょうか?あと1,2曲やってもらえると、
お客さんも完全に圧倒されると思うのですが。
勿論、あれだけでも十分楽しかったですけれど、
欲を言えば、ということです。

 

 

菊之丞が初めて、というのは意外でしたが、
すっかりなじんでいました。
「法事の茶」自体は古典なのでしょうが、
文楽や正蔵、談志といった
名だたる噺家を次々に呼び出す、というのは
菊之丞のオリジナルなのでしょうか。
以前からやっているようですが、
私は初めてでした。見事なものですね~。
まあくさんが言われたように、直接聞いたことは
ない人でも、きっとこうだったんだろうな、と
思わせるのはさすがです。ただ、談志はやはり
志らくの方が似てるかな。

 

 

さて、キョンキョン、今回は真面目に、抑えた一番でした。
志の輔の毎夏恒例の牡丹灯籠を思い出しましたが、
キョンキョンはキョンキョンで、達者だな、とは思いました。
ただ、ふと思ったのは、
悪人を演じきるには、人が良すぎるのかな、ということでした。
落語に出てくる人たちは、悪役はいても、あまり心底悪人という人はいないわけですが、

圓朝の怪談噺にだけは、本当に血が凍るような悪いやつが出てきますよね。
今回の「お札はがし」の、伴蔵と妻のお峰は、

打算で今まで世話になった主人を幽霊に売り渡す、ひどいヤツですが、

憎みきれない描き方になっています。
この辺りは、それこそ正蔵師匠はどうだったのでしょうね。

 

「今夜踊ろう」もまあく節が炸裂しながらも、
キレイに着地したし、次回が楽しみです。

5月31日に森山良子さんのコンサートをカミサンと聴きに行き、感想をラジオ番組に送りました。

感想は以下の通り。
https://www.facebook.com/RyokoMoriyamaOfficial

 

 

良子ちゃん、今晩は
オジサンの私より、ちょっと年上なのに、
やっぱり良子ちゃん、って言ってしまう。
だってカワイイんだもん。

 

31日は、練馬のコンサートに行って来ました。
1月にオーチャードホールで聴いたばかりなんだけど、地元・練馬でのコンサートなら行かないわけにいかないじゃないですか。

 

で、最初からパワフルなステージに圧倒されたのですが、

不思議だったのは「さとうきび畑」。

毎回聞いていて、いいなーと思うのですが、この日は、
「知らないはずの父の手に抱かれた夢を見た」
「お父さん、どこにいるの」
というところで、はらはらと涙がこぼれてしまったのです。
全く予想してなくて、自分でもびっくりしてしまいました。
改めて、この歌は、私にとっても大切な歌になりました。

 

リクエストは「今日の日はさようなら」です。

フォークにはまっていた中学から高校生の時、よく口ずさんでいました。

 

では、これからもラジオもテレビも楽しみにしています。
また、コンサート行きたいな。

 

 同じように、犬は好きだが、愛犬家は嫌いである。さて、
特に、落語会でいちいちメモを取っている輩は、張り倒したいくらい嫌いである。談志ファンのように、やたらと蘊蓄を傾けたがる輩も近づきたくない。
 昨年は週に2~3回、落語会に行っていたが、今年は大幅に減らした。
 正直に言ってかなり飽きたからである。勿論、本当の落語ファンは、同じ演者の同じ話でも退屈してはいけないのだろうが、私は面白いものを聴きたいから行っているだけで、別に落語界を支えて行こうと思っているわけでも何でもない。何度も聞いた話に、あくびをかみ殺しながらつきあう義理はないのである。
 特に志の輔がひどい。5回行って、やっとあまり聞かない話にひとつ出会う、という程度である。小三治も似たようなものだが、マクラが違う。志の輔はマクラまで同じなのだ。富山空港まで飛行機で行こうとしたが天候不良で引き返した話など、何度聞いたか分からない。しかも、同じ話を、毎日新聞のコラムでも繰り返すのである。
 志の輔のファンは多いらしくて、とにかくチケットを取るのが大変なのだが、どうも行ってみると、噺の内容やその日の出来不出来はどうでもよくて、とにかく「志の輔は面白い」「すごい」という先入観に凝り固まっている。だから、「伊能忠敬物語」などという、事大主義で、ただ長いだけの退屈な噺に感動するのだ。驚くのは、そうした無批判な迎合と大差ない記事が出ることだ。たとえば、12日の朝日新聞の記事がそれだ。
 この日の紙面では奇しくも、三谷幸喜のコラムも落語に触れていた。それは、志らくの高座についてのものだが、多分初めて聞いたのだろう、感動が率直に綴られていた。私も、そうだった。よく分かる。勿論、口跡の悪さなど、言えばいろいろあるのだが、文句なしに面白い。それにそのときそのときに、同じ噺でも違ったものにしよう、という意気込みが感じられる。だから、今でも志らくはたまにゆく。
 逆に、1回目から必ず行っていた「談春のアナザーワールド」からは足が遠のいている。実は、チケットの最も取りにくい噺家だとか、必ず名人になる逸材だとかいった前評判につられて、彼の落語会に、三鷹やら横浜やらまで足を延ばしてまで聴きに行き始めたのであり、確かに破綻のない話の運びには感心した。やたらと長くなりがちなのは、自分の頭でしっかり考えて、ここはこういう事だろうという解釈をしたうえで再構成しているからだと分かるから、それも評価する。しかし、マクラがつまらない。時間は長いのだが、笑えない。先日、さだまさしのバースデー・コンサートで司会をしていたが、明らかに人選のミスだった。
 私は人間的には、志らくより談春の方が、最初から今に至るまで好きである。しかし、高座のおもしろさは、今はやはり志らくだ。
 で、明日は喬太郎を見に行く。大好きな鶴光も出る。楽しみだ。

今日の朝日新聞朝刊の世論調査を見て、驚いた。

   衆院選後の政権はどのような形がよいか聞いたところ、「民主と自民の

   連立」が36%で最も多い、

というのだ。これはどういうことだろうか。

   小沢一郎・元民主党代表が結成する予定の新党に「期待する」は14%

   にとどまり、「期待しない」は81%にのぼった。

というのはまあ、分かる気がする。小沢グループは、特に「何かをする」という

ことを掲げたわけでなく、有権者への裏切りは許さない、という否定的な理由で

飛び出したわけだからである。

行動への支持と今後への期待は別だということだろう。

それにしても、談合・癒着への期待がこんなに大きいとは。

つまり、事の当否はともかく、「決められる政治」を支持する、ということのようだ。

私は、小泉選挙の時の「刺客」を思わずにはいられなかった。

 

大平正芳首相が選挙中に亡くなった時、私は大分にいた。私は、同情票が集ま

り、自民が勝利する、と言ったのだが、先輩たちは皆、そんなことはないと

言った。結果は私の言った通りになった。

そういう日本人のメンタリティからいえば、「刺客」など送るような血も涙もない

対応は、当然非難の的だろうと思ったのだ。ところが、多くの有権者はこれに

喝采を送った。日本人のメンタリティがこの頃を境に変わってしまったことを

認めざるを得なかった。

イラクで日本人NPO活動家が拘束されたときに、聞くに堪えない罵声を浴びせ

たおぞましい感性の持ち主が、実は少数ではなく多数派だったのだ。

今回の「決められる政治」支持は、その流れの中にあり、橋下流への共感も

全く同根であることは間違いない。

そうしたメンタリティと、消費増税への反発や原発再稼働への嫌悪とが

今、せめぎ合っているのだと思われる。

小沢新党は、このあたりをどう見極めて闘って行くのだろうか。橋下との連携など、勝つためには何でもするなどという野合は、有権者に見透かされるだけだ、

ということだけは言っておかなければならない。

世田谷パブリックシアターでの「薮原検校」を観た。最終日(7月1日)だったが、特にイベントがあったわけではない。それなら平日に申し込めば、もっといい席だったかもしれない。
印象に残ったのは、野村萬斎のメイキャップと、秋山菜津子との猥雑な絡みである。内容で言えば、ラストの、塙保己一(小日向文世)の「
薮原検校処刑すべし」との松平定信への進言である。
一緒に観た女友だちは、「萬斎さんは悪役には向いてないのかもしれませんね」と言っていた。それは、本当に悪い人間には見えない、ということのようだ。結局、狂言界のプリンスという出自がそうさせたのだろう。多分、歌舞伎俳優の血筋でありながらいろいろな辛酸をなめてきた香川照之(市川中車)であれば、もっとすごみのある悪役になったのではないか、と思われる。それに、現実の世の中こそ、人々の切望を踏みにじりながら反対意見を強引にひねり潰そうとする宰相や、空前絶後の大事故を起こしながら反省しないばかりか、自分の責任を明らかにする証拠を頑として隠蔽し、さらなる犠牲もいとわず、利権追求を繰り返そうとする、憎んでもあまりある人でなしの徒輩が大手を振っているのであるから、真の悪党に見えなくてもやむをえないという側面もある。
演劇の面から言えば、多分リアリズムというよりは、狂言、歌舞伎、文楽といった日本の伝統芸能の様式美を生かそうとする側面が強かったのではないか、と思う。
座頭杉の市が演じる「早物語」はまさにそうだろう。
落語「黄金餅」の言い立てを彷彿とさせるこれは、狂言役者萬斎の面目躍如といったところだ。
とはいえ、歌舞伎で悪役が主人公となる「法界坊」「女殺油地獄」「三人吉三」などと比べると、「法界坊」は笑いに徹しているが、後の二つは見終わった後、何とも居心地の
悪い思いがする。それだけに、肺腑を抉るような悪の衝撃波のようなものが繰り出されるのだが、「薮原検校」には、そこまでのざらざら感はなかった。最後の処刑シーンはグロテスクではあったが。
これを「中途半端」ととらえることも出来よう。しかし、恐らくこの芝居の真骨頂は最後の
塙保己一の指摘にあったのだ。つまり、体制にあらがって悪を重ねてきたように見えても、結局、悪を悪としてさらしものにすることで権力による国民統合の道具にされてしまう、という構造だ。「人の業」とか、「誰でも悪いことをする可能性がある」とかいったことではない。そして、忘れてはならないことは、薮原検校自身も、願いが叶う目前で、このような破滅に終わることを、承認していたのではないかということだ。つまり、人の思いなどというものを超越した「構造」というものがある。そのことこそがこの芝居のテーマだと思うのだ。
ついでながら、小日向の存在感に改めて言及しておく必要があるだろう。痴漢冤罪事件を描いた映画「それでもボクはやってない」の、言葉は丁寧だが冷酷な裁判官役が頭から離れないのだが、今回の

塙保己一もそれに通じるものがあったような気がする。油断のならない役者である。

 

私はAKB総選挙で、柏木由紀に

投票しましたが、テレビで見る

さしこのへたれキャラは大好きです。

 

今回の騒動の元になった週刊文春の記事、

指原の元カレとか言う輩は、人間のクズですね。

しかも自分から別れたわけでしょ?

ま、指原は今回の総選挙で一応、AKBの中で

やるべき事は達成しちゃったような気がするし、

ステージを替えた方がいいとは思ったけど、

こんな形で博多に行くのは、かわいそうだな~。

大分出身の指原にとっては「地元」なので、

温情なのかもしれないけど。

秋元康さんは、「これからというときに」と

いった形で批判していましたが、この時期に

暴露したのは相手側であって、指原には

責任がないでしょう。恋愛禁止とかいうルールに

反したのは事実かもしれないが、こういう

汚いチクリに「反応」しては、相手をつけあがら

せるだけ。ここは「毅然」として無視し、後日、

別な形できちんと対処するのが、責任者の取るべき

態度です。その意味で、秋元という人の度量の

小ささを示した事件とも言えるでしょう。