今日は父の告別式。友人や親戚が大勢来た。皆お悔やみを言って下さるが、母も私も悲しい事がひとつもなく、喜びと平安でいっぱいだ。
父はあれほどつらい闘病生活から、苦しみのない天国に安らかに旅立ったからである。
告別式は今日も大勢来られ、昨日と合わせ延べ390人参列された。みな牧師先生の説教を熱心に聞いて下さった。年配の方も多く、死や天国についてのメッセージを真剣に受け止めたものと思える。
弔辞は父の後輩でタイガースファンのTさん、従弟のTちゃん、教会のY本さん、弔電はドイツの工藤篤子さんからのものであった。
霊柩車はロールスロイスで、写真を持った母が同乗した。
火葬場で父の妹が号泣、棺に向かって「悪い妹でした。」と言った。彼女は長年父と喧嘩していたのであるが、最期に仲直りする気になったものと思える。「お父さんも最期はしんどかって可哀想やってんから、堪忍したったげてな。」という。
斎場は美しく、桜がちらほら咲いて、桃が満開だった。
午後4時納棺。H子姉と2人の甥のTちゃん、姪のsakuraちゃんが立ち会ってくれてお祈りと賛美歌『いつくしみ深き』を歌ったあと送り出す。
棺は黒。カヴァーも黒のビロードで白い十字架と百合の花の刺繍の有るもので,素敵である。多分夫も気に入っていると思う。
7時J子さんのオルガンの前奏で前夜式が始まる。
白い花(胡蝶蘭、薔薇、カーネーション、霞草、トルコ桔梗、百合など)ばかりで飾ってもらった祭壇はとても美しい。
娘もピアノを弾いて賛美歌は夫の好きな曲を2曲。Y子さんがバイオリンで『G線上のアリア』を演奏して下さる。涙が出る。
牧師先生のお説教は力強くユーモアも有り素晴らしかった。ただ少し私のことを褒め過ぎで面映ゆく、本当にそんなに夫にとって良い妻だったのだろうかと50年の歳月を思い返していた。
雨が降っているのに沢山の人が列席して下さった。
半分行事が無事終わって少しほっとする。
早々にパジャマに着替えていたらやはり客が有った。
キリスト今日の前夜式は、棺の傍で飲んだり食べたりしながら夜を明かす、と言うことは無いので,遺族に取っては有り難い。
兄嫁が少し不満げで「放っておいたら可哀想やんか」と言ったらしいが,だからと言って夜伽をしてくれるかというと多分「体調が悪いから帰らしてもらうわ」とさっさと帰っただろう。
山口のTちゃんが泊まってくれたので、楽しい夜となった。彼は夫のことが大好きで、3人で夫の思い出を語りながら笑い転げる。
これって、世間の常識からすると不謹慎だろうなあと思いながら。

中西牧師と葬儀社の人が来て、畳の間で納棺式。
賛美歌「いつくしみふかき」を歌う。
H子おばといとこたち(Aちゃん、Tちゃん、Tちゃん)3人が立ち合う。みんな他府県から来てくれた。
お棺が家から運び出されるとき、雷が猛烈に鳴り響いた。神さまの演出効果は抜群だった。
土砂降りの雨の中教会へ。
お花は注文した通り、白一色だった。タキシードを着ている父の写真も気に入った。

前夜式には230人の人々が参列してくださった。牧師夫人がアッシャーを取り仕切られたのを始め教会員の人々が受付、奏楽、その他の奉仕をして下さり、中西牧師が父のエピソードをふまえながら説教をして下さった。素晴らしい伝道メッセージだった。
うちの町内の人々はほぼ漏れなく出席。地域の公民館の人々も教会の人々も大勢来られた。
多くの人々にここに教会がある事を知ってもらえてとても嬉しい。

雲舟のリハビリ日記
午前1時過ぎ病院から呼び出し。安定剤を飲んで寝ていたので電話を取ったのは娘だった。
『落ち着いて・・・』と自分に言い聞かせながら車で深夜の病院に行く。
当直の先生、看護師さん3人が夫のベッドを囲んで待っていて下さった。1時53分死亡確認。死因は肺炎だった。
中西牧師先生がすぐに駆けつけて下さって,お祈りをして下さった。
その後すぐに葬儀社の手配もして下さって、夫は家に運ばれ座敷に安置してもらう。
22日前夜式、23日告別式を執り行うことに決まり、全ての段取りを決め終わったのが朝6時だった。
夫は全ての苦しさは消えて安らかな表情で寝ている。もう神さまの傍に連れて行ってもらったのだから,平安そのものなのである。
娘と私も,悲しみは無く辛そうな夫を見なくても良くなった安堵の気持ちが大きい。
明日の前夜式まで時間がたっぷり有ると思っていたが大間違い。しなければならないことが沢山有るのに、電話や弔問客の応対で時間が取られる。
私は泣いていられないし、また涙は出ない。でも電話の向こうの人は必ずと言って良い程泣く。
お化粧を落としてからも弔問客が有って、中々寝かせてもらえない夜だった。
午前1時20分に電話が鳴った。心拍数の間隔があき始めたのですぐ来て下さい、とナース。いそいでかけつけると、お医者さんが呼吸の停止を確認した。心電図のモニターは一本線になっていた。
母はしばらく泣いた。私は安堵感でいっぱいだった。父がマラソンをもう続けなくてもいいからだ。天に召された父に、苦しみも痛みも悲しみもない。
中西牧師に電話。すぐ来て下さり、しばらくして葬儀社の人が遺体を引取りに来た。
当直の看護師やヘルパーに御礼を述べ、帰宅。座敷に布団を強いて、遺体を安置する。枕元にお花と聖書を置く。
その後葬儀社の人、牧師先生と前夜式、告別式の日程を打ち合わせる。前夜式は明日夜、告別式は月曜日の朝11時に金剛バプテストキリスト教会で行われる事になった。
その後両親の友達が来たので、留守番を頼み、喪服を買いに高島屋へ。ちょうどぴったりのを見つけたので買う。
帰宅後9人弔問客が訪れる。母は夫婦で洗礼を受けた話をみんなにしていた。
従弟一家が来た。子供2人は小学2年と4年。玄関ではしゃいでいたのだが、座敷で遺体を見たとたん急におとなしくなり、自分の親の後ろに隠れた。「夜中に起きたらどないするん?」恐いようであった。
夫は頑張っている。今日は熱が下がったのと血圧もそこそこで、ほっとする。
1日中ベッドの横の心電図と心拍数のモニターを見ていると,私の心臓も動悸を打ち始める。夫の息はとても荒くて心配だが、今夜は看護師さんににお任せして、2人とも家で寝ることにする。
夕べは病院に泊まる。簡易ベッドに寝たのだ。でもしょっちゅう出入りする看護スタッフ、叫ぶ隣室のおじいさんの声、父の荒い息づかいと機械の音、ナースコールの音などで睡眠はしょっちゅう途切れ、夜明けにはげっそり。
朝6時に母がタクシーで来たので、交代して帰宅して横になると、今度は熟睡出来た。
父は夕べ一晩中高い熱が続いたが、今日は微熱に下がった。でも心拍数は時々200を超え、呼吸も平常時の2倍以上あり、本当に苦しそうである。
一日病室にいたので、一家3人でと野球と相撲を観る。父も見えている様子ではなかったが、目は開けていた。野球は日本が韓国に勝ち、相撲はモンゴル人の横綱がふたりとも勝った。
Y子さんが今日もランチとディナーを差し入れてくれた。彼女のおにぎりは固くて非常においしい。きっとバイオリンをしっかり押さえるから、しっかり握ることができるのだ、と母。
早朝,娘が来たので始発の病院の巡回バスで家に帰る。顔を洗ってお弁当を作って銀行に寄って再び病院へ。また、娘とタッチ交代。
ハープとヴァイオリンのリハーサルをするために娘は家に帰る。
ヴァイオリニストのYさんはお弁当を差し入れて下さった。忙しいのに優しい心遣いに感謝をする。
夫は今日は少し持ち直したが,相変わらず熱が高く息も荒い。
二人でお弁当を食べてから娘は再び帰って少し家でくつろいで夕方やって来た。病院でお弁当の夕飯を済ましてから,私は雨の中を娘に送ってもらって帰宅。
お風呂に入ってすっとした。今日は娘が夫の傍で寝てくれる。簡易ベッドは小さいので大きな娘が眠れるか気がかりだ。
今日は娘と何遍タッチ交代をやったのだろうか。
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夕べ母が病院に泊まり、朝私と交代。
バイオリニストのYさんが子供さんのお弁当を作ったついでに私らの分を作ったと言っておにぎりを差し入れしてくれた。
再び母と交代、帰宅してYさんとリハーサルする。
父は日中少し熱が下がったが夜38.6℃まで上がり呼吸数、も心拍数も平常時の2倍、病気と必死に闘っている。
昨日に続き今日も携帯から日記を書く。

再び血圧が下がり,熱も高い。心拍数も異常に高くまるでマラソンをしているようである。
中西先生が来てお祈りをして下さった。
いつ心臓が止まるかも解らないし、簡易ベッドを貸してもらって寝る。