今回は以前日記に溢した父のストーカー行為について書こうと思う。
烏の両親は私が子供の頃に離婚している。経緯については過去の日記を読んで貰うと分かるので省く。
要約すると性格·価値観の不一致で離婚に至ったのだが、離婚調停中父と父方祖母は母側に色々やらかしてくれたので円満離婚ではなかった。勿論結婚生活も長い間冷戦、家庭内別居状態。
離婚後互いに関わりは無くなると思っていた…
しかし、離婚から数年…私が成人した辺りから父の様子に異変を感じられた。
当時、私と母は二人暮らしをしていたのだが父が私に会いたいと言うことで母了承のもと家の場所は知られていた。
父の通勤ルートは本来であれば私の家の前を通らないものであったが、何時しか毎日家の前を通るようになった。
何故分かるのかって?
父は車好きで世代で言うと頭文字Dが大好きな人間であり、父が所有する車も俗に言う「走り屋」の類いだった。その為エンジン音が大きく特徴的であり田舎では同じエンジン音を見かけないからである。
その特徴的なエンジン音が毎朝、毎夜に家の前を通過するようになったのである。
父と同居する兄に確認すると「あいつ最近お前の家の前通ってるで。俺に報告してくるもん。」と。
通るだけなら良かったが、徐々に生活を監視するかのような発言が見られるようになった。
母は独身生活を満喫しているようで50代過ぎで赤色のスポーツカーを購入した。とても綺麗で格好いい車である。
その車が納車され、家の駐車場に停まると父から電話が来た。
「あの車は誰のだ?」「お母さんが乗ってるのか?」「誰か彼氏が出来たのか?」「あの車を買うお金があったのか?」「足りなかったんじゃないのか?足りないなら俺が助けてやろうか?」と。
私は素直にあの車は母の物であると言うことを伝え、同時に私と父は親子だが父と母は最早他人になったし、お互い良い年齢した大人なのだがら干渉するべきではないと言った。すると父は
「俺だって元はと言え、お母さんと夫婦やったんやから心配する。」「お母さん困ってる事は無いか?」と。
気になるなら直接言えば良いと言うが「それは…」と濁すのだ。
そもそもの話、円満離婚ならまだしも父は結婚時に浮気やDVと言った事をしていたので母を心配する権限が無いと思う。
また、家族で住んでいた時は育児介入や積極的に家族の為に動く事などなかった父が家の整備をしてやると言って家に上がり込んできたのである。
何なんだこいつはと思った。
それから暫くして私は就職し家を出た。ある時母から電話がかかってきた。
「お父さんから何度も電話が来るんだけど、何か緊急の用事があるのか烏から聞いて。」と。
話を聞くと朝から夜まで何度も父の自宅と父の携帯から連絡が来るのだとか。最初は何度か出たものの無言電話だったらしい。
父から母へ連絡が来ると言えば大体が兄が車で事故を起こしたと言う報告が専らであるが、最近は兄からそんな話は聞いていない。(兄が特に荒れていた一時期は何度も単独で車事故を起こし車をお釈迦にしているとんでもない常習犯だったのである。)
そこで直ぐ様父へ連絡し、状況を確認すると
「それお母さんが烏に言ったのか?」と。それに対し母は兄の心配もあるが電話に怖がっていると伝えると
「俺はかけてない。何かのバグじゃないのか?」と。また「俺がお母さんに電話する事はそんなに可笑しい事なのか?」と。
それを聞いた私は「あ、これ確信犯だな。」と理解した。何故ならこれ迄はそんなバグ?携帯の故障など一切なかったのに私が母のもとを離れたこのタイミングで多発するなど不可解な点がある。
後だし情報になるが、電話について2週間ほど続いていた状態である。
そこで私は「かけてないって言うなら私が電話の状態確認しに行こうか?」と言うと、「いや、多分大丈夫やろ。」と。
いや、何が大丈夫なのか意味が分からない。
「お父さん。何度も言うけど、最早二人は他人やねんで?もしお父さんが故意に電話してるならそれはストーカー行為にあたるし単純に気持ち悪い。今回はお母さんに電話の故障って伝えるけど、これ以降も続くようなら取り返しつかん事になるで。」と警告した。
すると父は暫く無言になり「そんなにあかんのか…」と。
此処で父ばかりを責めてしまうとかえって逆上してしまう恐れを考慮した私は
「もう、お父さんも自由になって良いんやで?昔モテてたんやから新しい彼女作ったらどう?あの家に住み続けたらそれこそ過去に縛られ続けるんやし、思いきって地元に戻るか車以外にバイクも好きやったんやから新しい事に挑戦してみたら良いと思う。」と意識を逸らすように努めた。
すると父は「俺は地元よりあの家で過ごした時間の方が長い。今更地元に戻った所で…」と再び言葉を濁してしまった。
「別に私と家族でなくなる訳ではないし、お兄も私も大人や。もう自分の好きな事に目を向けてあげて。」と再度押すと父は無言になった後に
「お前は何時も人の気遣いばかりして損な役回りばっかりやな。でも俺はお母さんが心配やから…」と電話を切った。
嘘だろ。話の流れを初期化されてしまった…
流石に危機感を覚えた私は母に報告。「お父さんマジでヤバいかもしれへんから、今後電話掛かってきても絶対取らんといて。一応LINEでお母さんへの連絡は絶対に私を通すよう言うから。」と。
すると母は「余りお父さんを悪く言ったらあかんで。あんたのお父さんやねんから…それに多分何とかなるよ。」と。
いや、何でそんなに能天気やねん。前の攻撃的な人格は何処に行ったんだ?と思った。
その後電話について母は私に話さなくなったので正直にどうなったか分からない。しかし続いてるのではないかと思う。何故なら父の監視行動がいまだ継続されているからである。
少し前に遠方に住んでいた母方祖父母が母と同居を始めたのだが引っ越し当日、私に父から連絡があったのだ。
「お母さんの家に何時もと違う車停まってるけど誰か来てるんか?」「あの車はおじいちゃん、おばあちゃんと同じ車じゃないのか?」「何でお母さん家に来てるんや?旅行か?」「一緒に住むんか?」と。
迂闊に情報を流したくなかった私は「さあ?私も詳しい事は知らん。家に来てるって事だけ聞いた。」と返した。
後日、母の実家で遭遇した兄からも情報提供があった。普段なら私をいない者扱いする兄だが流石マザコン、母への危機感を感じたのだろう。
「あの親父ウザイ。俺にじっちゃん、ばっちゃんの事めちゃくちゃ聞いてくる。そんなに知りたいなら直接聞けよって言ったら「烏に釘刺されてるし、俺に教えたがらんっぽいから…」とか言ってた。だからって俺に聞くなよ。」と。
念のため兄には「詳しい事は聞かされてない。」で押し通せと伝えた。その後納得した兄は再び私の存在を無視していた。最早「この家族、面倒臭い」と思った。
いずれバレると思うが、せめてもの「拒否」の意が伝わって欲しいと言う抵抗である。
祖父母の同居について老後の介護と言うことで決めたのは母であるが、私としては「父への牽制」と言う意味でも賛成であった。
何故なら離婚調停時、父は母方祖父母へ「流石この女の親だな。」「こいつ(母)を育てたのはお前らやろうが」と中々に暴言を吐いたので対面するには中々に気まずい筈なのだ。
おかげで監視行動は続いているが父から母への直接的干渉は無くなったと思う。けど油断は出来ない。
少し話は変わるが時折ふと思う。自分は何をやっているのだろうと。馬鹿なんじゃないかと。
だって、あれだけ母の事を恨んでいたのに今はこうして守るように動いている。何がしたいんだ自分は…
やはり根底には子供の頃に良好な親子関係を築けなかった分、今になって「必要とされたい」「振り向いて欲しい」と言う思いがあるのだろうか…
一種の依存なのだろうか…
相変わらず人間って難しいなと思う。
まぁ、二年後には私はこの世にはいないので後は自分で身を守って貰うしかない。そこは個人に期待するしかない。