2024年 5月 9日&10日、諏訪大社をはじめ諏訪盆地に点在するいくつかの神社を巡ってきました。

 第2日目の午後は茅野駅へ移動。路線バスに乗り、上社摂社を2か所訪ねました。

 

諏訪大社 上社摂社

 八劔神社 やつるぎ

 当社は、諏訪湖で「御神渡り」が起きた際、特殊神事を斎行する神社として知られています。

◇鎮座地:長野県諏訪市小和田13-18

◇最寄駅:JR中央本線上諏訪駅~850m

◇バス便:角間橋バス停~240m

 茅野駅←→岡谷駅(アルピコ交通バス)

◇主祭神:八千矛神(=大国主神)

◇合祀神:日本武尊、誉田別尊

◇御朱印:あり

 

 葛井神社入口バス停から再び「岡谷駅行き」に乗ります。

 当社には、入り口が4か所あります。

 

【社頭】

①かつての表参道(北西側)

 角間橋バス停で下車。グーグルマップを開くとこの場所へのルートが表示されます。

 バス停から150mの位置にあり、江戸時代はこちらが表参道だったようです。

 鳥居下の石積みには、流水の水盤があります。正面は社務所。

 

②裏参道(北東側)

 バス停から120m。もっとも近い入口で、かつて別当寺だった甲立寺が隣接します。

 良い雰囲気とは言い難い感じの参道でした。

 →お寺との境界に塀などがなく、双方の境内社が背中合わせに並んでいる。

 →手水の環境がない。

 →神明系靖国型の鳥居が小豆色に塗装されていて違和感あり。

 

③注連縄門(南東側)

 写真を撮りそこねました。バス停から170m。

 

④表参道(南西側)

 バス停から240m。もっとも遠い入口です。

 鳥居の手前には社号標や流水の水盤があります。正面は神楽殿。

 

◆天然の岩を加工した水盤

 鳥居の先に手水舎が見えましたが、鳥居前にあるこちらの水盤を使いました。そして正解でした。手水舎の水は涸れていました。

 

 

神楽殿

 下社(春宮&秋宮)と同様に、神楽殿が拝殿を目隠しする格好です。

 神楽殿では、神様を祀っている様子がないので「正中」は存在しません。ただ、両サイドに狛犬を配し、中央部分は石畳仕様。下社の参道を想起します。石畳は凸凹がほとんどなく、歩きにくさはありません。

 

◆神楽殿内部

 日本画の屏風を背景に、稲穂を咥える獅子頭。

 

◆歴史を感じる神額

 正面(平入り)ではなく、側面(妻入り)に掲げられていました。

 八幡神社の「八」は鳩が向き合いますが、こちらは蛇のようです。

 

 

◆拝殿

 右書きで「八劔神社」と揮毫された、新しめの神額が掲げられていました。

 

◆神紋=諏訪梶

 当社は上社の摂社なので「根が4本」の諏訪梶です。

 

 

御祭神

 八矛神

  大国主神の別名。古事記において、八千矛神は高志国の沼河比売のもとに赴き結婚します。それにより、正妻である須世理毘売に激しく嫉妬されます。その後、八千矛神は須世理毘売を宥めて出雲に鎮座します。

 

  八千矛神の「八千」は多数の意。

「矛」の解釈は3つの説に分かれます。

 ①矛を武器と捉えて武神と解する説。

 ②矛を神霊の宿るものと捉える説。

 ③矛の形状、神婚譚という神話の内容より、男根からの連想と捉える説。

などがあります。一般的には武神と解釈する説が主流です。

by國學院大學「神名データベース」

 

 

◆神饌所

 案内がなかったのでネットで調べたところ、神饌所とのことでした。

 

◆本殿

 写真では、分かりにくいのですが、同型社殿が2棟並びます。

 これは正殿と権殿。諏訪大社の宝殿(東西2棟)的なイメージになります。

 かつては、式年造営で交互に建て替えていたようですが、現在では千木を交換するだけにとどめています。

 

 

御神渡り おみわたり

 諏訪湖が全面結氷した数日後に出現

◇亀裂

 気温が下がった深夜、大音響とともに氷の湖面に亀裂が入ります。

 

◇氷列

 翌日早朝、亀裂部の氷が盛り上がり、白く長い氷列が出現します。

 

 この現象を「おみわたり」と言います。

 近年は暖冬が続き、結氷しない「明けの海」となることが増えています。

 

 

3本の氷列

 =蛇神の会合

 御神渡りがパーフェクトに形成された場合、3本の氷列が走ります。

 ①一之御渡:南北方向

 ②二之御渡:南北方向

 ③佐久の御渡:東西方向

 3本の氷列は古来「天竜川、犀川、千曲川の水神・蛇神を表象する」と信じられてきました。(by『諏訪信仰の発生と展開』p.27)

 中でも、上社の方から下社の方へ向かって、南北に走る「①」こそが、《タケミナカタがヤサカトメに会いに行く痕跡》とも言われるラインです。

※写真は「ウエザー・ニュース」より

 この現象、古代人の目には、凍った湖面を龍蛇神が突き進んでいるように見えたことでしょう。古代の諏訪神が「蛇体の水神」と考えられた要因の1つと言えます。

 

 

御神渡神事

「御渡り拝観の神事」として一般に知られているこの神事は、八劔神社の神職らによって斎行されます。

 また、当社所蔵の「御神渡り帳」には、天和3年(1683)~現在まで341年分の拝観記録が書き継がれています。

 

◇御神渡りが観測された日

 当社では総代会を開き、拝観式の日程を決定。

 宮司・神職・氏子総代は、自宅で潔斎を開始。

 

◇拝観式

 八劔神社にて修祓を行い、諏訪湖へ。

 一之御渡・二之御渡・佐久之御渡を拝観。

 

◇奉告祭

  八剱神社へ戻り、御渡の状況を祭神へ報告。

  湖の様子を元に「年占」の実施。

 →農作物の作柄、世の中の吉凶、気候雨量等を占い、結果を公表。

 

◇注進式

 御神渡の状況と年占の結果を纏めた「御渡注進状」を制作。

 後日、宮司と氏子総代が諏訪大社上社へ出向き「御渡注進状」を奉納。

※写真は、共同通信社より

 【例】2013年 御神渡神事

◇1月22日:御渡を観測(諏訪湖)

◇1月22日:臨時総代会(八剱神社)

◇1月25日:拝観式(諏訪湖)

◇1月25日:奉告祭(八剱神社)

◇2月17日:注進式(上社本宮)

 なお、御渡の観測されなかった年であっても「奉告祭」と「注進式」は行われ、「御渡は無かった」旨の報告がなされます。

 

 

【境内社】

 境内社は15社(含、不明社2・石碑1)ありました。

 

「御神渡り」に関係あると思しき境内社を見つけました。

 まずは、そちらからご紹介します。

 

◆新海神社

御祭神:興萩命こはぎのみこと

 →建御名方神の御子神

 本宮の鎮座地は長野県南佐久郡。別名である新開明神は千曲川の水神としての性格も併せ持ちます。

 よって

 鎮座地=佐久、神性=水神、から

 3本の御神渡りのうち「佐久の御渡」に対応する神社 かもしれない、と想像します。

 

   一之御渡=八剱神社=天竜川蛇神 

   佐久御渡=新海神社=千曲川水神 

となると

 二之御渡に対応する神社=犀川龍神

も境内にあるのでは、と思うのは自然な流れ。早速、探してみました。

 

 まず、新海神社と2社で1セットのような格好(石垣上の社殿が2社並んでいる)で鎮座している神社に目が行きます。

 当該社殿は、右側の神社。社号は穂見神社。左は新海神社。

 穂見神社は茅野市内をはじめ、5社ほどありましたが、どれも犀川から遠く離れていました。よって、犀川龍神を祀る神社ではないようです。

 次に、「犀川流域・龍神・神社」と入力してググりました。

 →2つの式内社(穂高神社と川会神社)がヒット。

 前者:祭神=穂高見命。穂高見を穂見と読み替えるのは強引に過ぎると思いました。

 後者:祭神=底津綿津見命。不明社の中にあるのかもしれませんが、確証はありません。

 よって、「二之御渡」に対応する境内社は、残念ながらナシとせざるをえません。

 

◆穂見神社の神額

 形状が特徴的で、意味ありげです。

 穂見神社は、高尾穂見神社、高尾山穂見神社、穂見諏訪十五所神社などもあります。この中のどれかを特定できないと祭神名が判明しません。

 神額の形状から穂見神社の勧請元を想像してみます。

①櫛と見立てると

 南アルプス市「高尾穂見神社」

 →鎮座地が形山の山腹。

 →祭神:保食神

 

②アーチと見立てると

 韮崎市「穂見神社」

 →境内にアーチ形の石橋

 →祭神:倉稲魂命、建御名方命、素盞嗚尊

 

①②の祭神は五穀豊穣系が共通しますが、建御名方神が祀られていることを決め手として、②からの勧請と考えたいです。

 

 

【その他の境内社】

◆左:神明社(天照大御神)

◆右:御社宮司社(精霊ミシャグジ)

 

◆猿田彦大神

 

◆寄せ宮(3社)

 左から山之神社(大山祇命)×2社

 厳島社(市杵島姫命)

 

◆合祀殿(3柱)

左から、事代主神、大國主神、菅原神

→この3柱は、すべて怨霊神と言えます。

 

◆稲荷社(倉稲魂命)

 

御嶽山大権現

 

◆不明社1

 

◆不明社2

 

 

「御神渡り」の結果報告

 当社からの「注進」を受けて諏訪大社は省庁に結果報告します。

①気象庁へ

 諏訪湖の自然現象についてですから、理解できます。

 

②宮内庁へ

 これは分かりません。

 なぜ、皇室に報告しなければならないのでしょう。

 

 諏訪大社の自主的判断によるものなのか、宮内庁からの要請なのか。

 どちらかは知りません。

 どちらにせよ、背景に《出雲大社と諏訪大社に対する皇室の「気がかり」が考えられます。すなわち、「国譲り」に絡む皇室が抱え続けているかもしれない歴史です…。

 

 

【御朱印】

 以前は、手長神社の社務所まで行かなければ拝受できませんでした。今は、拝殿脇に書置きが用意されています。初穂料500円。

 

 

【参拝ルート】

2024年 5月10日

START上諏訪駅・諏訪湖口7:47→アルピコ交通かりんちゃんライナー→8:15上社バス停~70m~四之鳥居~190m~東手水舎・二之鳥居~①諏訪大社 上社本宮~250m上社本宮三之鳥居~550m~②御頭御社宮司総社&神長官守矢史料館~850m~③峯の湛~750m~④荒玉社~100m~⑤諏訪大社上社前宮→TAXI→茅野駅(昼食)~茅野駅西口バス停13:30→アルピコ交通バス 岡谷駅行き→13:33葛井神社入口バス停~170m~⑥葛井神社~葛井神社入口バス停14:33→アルピコ交通 岡谷駅行→14:44 角間橋バス停~240m~⑦八劔神社 ~角間橋バス停15:34→アルピコ交通 岡谷駅行→15:40上諏訪駅・霧ヶ峰口GOAL こののち上諏訪駅16:53発「あずさ46号」新宿行きに乗車。

 

 

【編集後記】

◆かつての表参道

 鳥居の大きさこそ、現在の表参道より小さいです。しかし、注連縄や水盤は丁重に維持管理されていることが分かります。

 

筆者は、こちらの入り口がもっとも好きでした。

 

◆遷座

 当社は元々、諏訪湖にある高島の里に鎮座していました。豊臣秀吉の高島城築城に際し、現在地に遷座しました。by諏訪市観光ガイド

 江戸時代には、高島藩諏訪家が居城鎮護の神として崇敬。明治以降は、小和田村の産土神として庶民からの信仰を集め、現在に至っています。(了)