昔に比べていろんなものに気づくようになってきた



いいことにもたくさん気づくけど

残念ながら悪いこともたくさん気づく



おかしいものに対しては「それおかしい!」って言いたくなるし

根拠のないものを信じてしまってる人には

「それってどうなのよ!」って言いたくなる



素晴らしいものに対しては「おぉ・・・これはすごひ・・・」

と感動することも多いんだけど

やっぱいろいろと厄介なもんで

嫌なことに気づいたストレスは残るけど、

いいことに気づいてもそのストレスは解消されないっぽい

ならば、嫌なものには気づかない方が吉ってことになる

知らぬが仏ってことか



だから、自分にとってほんとにどうでもいいものについてはスルーしていかないと

ムダに時間と精神を浪費しちゃうよなぁ・・・



おかしいものや、根拠のないものはほっとけば廃れていくし

完全に表に出てくることもないだろう

ごく一部表に出たところで、たかが知れてる

要は、ほっといても、まるでそのことが無かったかのように

物事は進行していくだろうと思う

ほっとくべきではないことってのはかなり限られている



だったら、無駄に時間と精神を使うべきではない

肯定する時も否定する時も、しっかりとした根拠を持たないといけないので

たしかにいろんな情報に触れて、いろんな発言したり思考したりすることは勉強になるんだけど

んー、もういいや



ムダは途中で打ち切ってでも削除しよう











他人が自分を評価することと

自分が自分を評価することはまったく別だなぁ

と思った



他人は結果が良ければ評価する

別にそれは間違ってない

社会人になればなおさら

でもこれは、他人は自分のことを詳細まで知りえないから

結果で評価せざるを得ないし、これが一番の指標になる



だから、自分に対する自分の評価がこれではもちろんいけないと思う



なんかやってみたらできてしまった

おれってすげー

こんなことになるくらいなら、

その場で恥をかくくらい思いっきり失敗した方がいい



たしか、辰吉丈一郎だったと思うけど

彼が試合をビデオでチェックするのは

勝ち負け関係なく、練習通りできたかどうかをチェックしているのだそうだ



負けても、練習通りにできていた方が価値があるし

勝っても、練習通りではなく、たまたまだとしたら価値はない

その勝ちに他人は評価するかもしれないけど

決して自分は評価してはならない

逆に、負けても練習通りにきちんとできたならば

他人は評価しないかもしれないけど、自分はしっかり評価して次へ進むべきだ

結局、これが自他ともに評価に値する

ということにつながるのではないか





こう思うのであります(≧∀≦)ゞ







高めの鰻を食った

やっぱ違うわ



大正時代創業の老舗うなぎ屋さん

うな重を頼んだんだけど

開けた瞬間の香りから違うし



皮が香ばしい

いいウナギは皮がうまい

これが今日の学び



普段食べログ書いてないから

写真なんて撮ってないよ

ぐへへ