こんにちは。愛子です☺️✨
今日は、息子との日常から「叱ったり怒ったりは、そんなに有効じゃないのかも…」と思ったお話です。
ガミガミガミガミ!って、ドラえもんに出てくるのび太くんのお母さんの怒り方とか、怒りを伴う叱責は昔の親なら当たり前だったのかもしれませんが、うちの子は受け入れられないみたいです。
うちの子の場合は、私が怒気を含んで叱ると全く聞く耳を持たないので、怒っても意味がないのかなと思うようになりました。
怒りながら私のストレスや怒りを子どもにぶつけてしまっている時、子の心は完全に閉じていて軽蔑も含み、伝えなければいけない言葉は全く入っていきません。私の怒りは何倍にもなって返ってくるだけでした。
子どもに間違いやトラブルがあった際に、再発が防止できるように、親に言われている理由と内容を理解できて、再発防止に意識が変わっていくことができたらOKなわけです。
それができるならば、怒気を含んだ叱責で伝える必要はないのかもと思います。
『親の叱責と怒りが当たり前にセットになっている』『子どもはガミガミ怒られることも当たり前』子どもにとっての大きな理不尽さを、「怒って言う必要ないよね?!」「オカシイよね?!」って、突きつけられることで、それは必要ないんだなと私は子どもから学びました。そのため最近は叱責ではなく『トラブル防止のための話し合い』という形になってきました。
表面的な現象としては『怒ったりしながら叱らずに、どうすべきか冷静に話し合おう』ということになりますが、もっと根本のところでは、『私の中の怒りを浄化することで、子どもとのコミュニケーションが変わった』ように思います。
そして、私が浄化して変わったことで、父親がものすごく変わりました。
以前のパパは自分自身の正義や成功法則を絶対曲げないことで、子どもを圧迫してしまうこともありましたが、最近は冗談を含みながら楽しくサジェストしてくれることも多くなりました。怒りによる躾ではなく、建設的なコーチングです。
もともとは商社マンで文化も言葉も礼儀も全く違う人たちと交渉することが多かったパパですが、そんな経験も生きているのか、突き抜け方が斜め上の我が子とも冗談を緩衝材にして言い分を伝えていることがあって、それは見ていて私もとても面白く、良かったな〜🎶と思います☺️
私にはできない形のコミュニケーションだから、見ていてためになる時もあります。
無闇に怒られなくなってから、子どももとても落ち着いて、以前よりお顔が穏やかになりました。
次は、学校や先生の在り方や不正に対して、真剣に怒り衝突する子どものあり方を、私を浄化することでさらに穏やかに変化していけたら良いなと思っています。
先日も先生と大喧嘩して帰宅しました。
ある先生に「貸したものを返して」と2回伝えましたが、「そんなことは知らない。私が授業を中断してみんなを待たせて、それを探せばあなたの気がすむわけ?」「それを私が探せばいいわけ?私が探してあげましょうか?」などとの返答だったそうです。子どもは生活調査の時にヒアリングシートを通じて学校に伝える機会があり、校長先生と担任の先生からの事実確認がありました。
そのような介入があった後は、たくさんの否定的な言い分とともにですが、掌を返したように他の先生の前で謝罪されたそうです。
そんなことがあって、『校長が出てきてバレるヤバイ!って不利になったら、ヘコヘコ謝って来て!!!オレが一人で伝えている間は、ずっとウザそうに「そんなこと言うお前が授業の邪魔」っていう立場に置こうとしてきたくせに!!!!😡』大喧嘩の末、授業中に身ひとつで帰宅してきました。
先生に対する子どもの勘違いもあるかなと、2ヶ月ほど中立的に見ていましたが、学校側からも確認がとれました。
我が子の言い分もわかりますし、他の児童からも別件で報告が上がっているし、今後も児童に対して悪意や無礼さを含む交流をされる先生ならば、必要な注意や処分があるだけです。
でも、今後はそういう「どこにでもいる自分にとって、嫌な人・ダメな人」というのもゼロではない世の中で、どれだけ自分軸で幸せにい続けるか🌞✨ということも大切だと思っています。
真正面から怒ることも悪いことではないですし、先生に数回に渡って嫌な返答受けても話しをつけに行った勇気も大切だと思います。
しかし今後は、優しい目で人を見ることやスルースキルも使って環境が良くなくても、いつも自分軸に安定していられることも選べるようになれば良いなと思います☺️✨
そのあたりのことは、私自身の浄化と、子どもの浄化、それにともなう表現のあり方に変化が必要かなと思っています。
浄化内容はコントロールできないけど、夏休みは学校もないので、ヒーリングとケアをして、もう一段階クリアリングしたいなと思っています☺️✨
本日もお読みくださりありがとうございました😊🦄🌈✨✨