こんにちは。Aikoです。
今日は前回の「願いについて」の続きです。
前回はそんなにセルフ(自我)の中に、それほど気にしてない問題=ブロックのない、抵抗の少ない問題についてほど、さらりと願いが叶いやすい傾向がある。ということを書きました。私にとってのお天気についてのように☺️

そして前回の続きです。
まず「願ってはいけない願い。」というのは存在しない。ということについて。

「なんでも願っていいですよ。」と言ったら、「そんなことしたら、世の中めちゃくちゃになるじゃないか!」と仰る人もたくさんいると思います。

わがままに願ったら「誰かを傷つけつてしまう。」とか「家庭や職場など関係性がめちゃくちゃになる。」と考え自粛し、願いや夢を諦めることもあると思います。常識的な良識をわきまえた優しい心を持つエゴさんがとる願いへの対応です。

でも、「願い」というのは、足りないなぁ。さみしいな。魂のなにかが欠けているな…。そんな風に分離を感じる場合に、心の中に自動的に生成されてしまう仕組みのようです。

豊かさに対する欠乏感があれば、お金や物質に関する願いが生まれる。

愛に対する欠乏感があれば、恋愛や親子間等での愛についての願いが生まれる。

自尊心に欠けていれば、他者からのリスペクトを求めたくなる。人気者や優秀な人など尊敬される人になりたくなる。

「願い」はそうやってオートマティックに泡のようにぽこぽこ生まれてきます。
生まれてくる「願い」には倫理観とか理性とかは無関係です。「願い」は理性という意識の表面よりももっとずっと魂に近いところからやってくるからです。
ではどこから「自粛」という地球人的な倫理観を持ち込んでくるかというと、地球人サイズに小さく制限されているエゴさんの方からです。

「願い」は魂からやってきて
「制限」「自粛」は、エゴからやってくる。
…わけです。

私が最初に「願ってはいけない願い。」というのは存在しない。
そう書いたのは、「願い」は、純粋に単純に魂からの産物としてただそこに在るだけのものだから。そこに良し悪しの判断も崇高さのランクもありません。
「願っていけない願い」が生まれるとき、それは一般常識や倫理観などのコンセプトによって、エゴさんが「願うこと禁止」にしたときです。

エゴさん優先で「禁止」しない限りは、そんな罪悪感を感じるような、悲しい願いはないわけです。豊かになりたい。愛されたい。休みたい。楽しみたい。もっと過激に、勝ちたい。尊敬されたい。見返してやりたい。復讐したい。そんな荒い波動もあるかもしれないですね☺️
どんな波動のどんな内容であれ、自分から生まれてきた「願い」は、私自身、あなた自身の在り方の分身です。大切な私自身、あなた自身の一部分です。だから、全て大切な「願い」です。ハイアーセルフからの人生のヒントであり、プレゼントです。そんなわけで私としては「願ってはいけない願い」というのは無いな。と思っています。

願望の実現という観点からみても、エゴさんの力が弱いとき、「制限」「自粛」の力もよわいので、「願い」に対して摩擦力も働かず、さらっと叶っていきます。だからエゴさんの浄化はおすすめです。
お天気に対しての私のエゴさんは、主張が少ないので、楽にかないますからね☺️

さて、では誰かを攻撃してしまうような荒々しい願いとか、倫理的にNGな願いとか…、そんなことが浮かんできたらどうしたらいいのでしょうか。そのようなことなどまだいろいろありますが、今日のところは長くなったのでこれでおしまいです😊また次回🎶

愛しいあなたへ。
今日もいっぱい楽しんで✨✨