またまた鹿児島オンリーのMBC南日本放送の話になるんだけど,10月10日,鹿児島で超有名なタレント「むっちゃん」で親しまれた猪俣睦彦さんが73歳で永眠されてしまいました。40歳以上の鹿児島県出身の方なら殆どの人が知っている人です。

 

*下の写真は「からいも飴は富士あめで~す」のCM.。一番右側にいるのが猪俣さんで,このCMは昭和50年代後半ぐらいだったと思います。なので中央の男の子は大体,俺と同じ世代なので,今はもう40~50歳になっているはず。一番左の外人さんは何しているのかな・・

 

 

 

 

 MBCラジオ開局間もない頃から草分け的存在として,鹿児島弁を存分に披露していた瀬川洋一郎さんが2005年に亡くなりになり,その後を継げるのは猪俣さんしかしない!とMBCラジオファンはみなそう思っていたと思いますが,その猪俣さんも旅立ってしまいました。

 

 瀬川さんも猪俣さんも,歳を重ねるごとに更に深みの増した,味わいある鹿児島弁を披露出来るお二方で,「ふるさとたっぷり」をスローガンに掲げているMBCにとっては欠かせない存在でした。この二人の存在がいかに大きかったか・・・。よく,鹿児島県出身の方が都会に出れば「田舎弁丸出し」で笑われるからと封印するのをよく聞きますが,猪俣さんはむしろ鹿児島弁を誇りに思い,全国で初めて「地方の方言でニュースを読む」という番組もしました(勿論,鹿児島でしか放送しませんでしたが)。

 

 私は猪俣さんと直接会ったのはもう15年くらい前の1回だけですが,それでも猪俣さんの,気取らない軽快な鹿児島弁は未だに忘れることは出来ません。ただ,ここ半年ぐらいの猪俣さんの番組は全て吉俣とよしげさん(大河ドラマ「篤姫」の作曲を手掛けた吉俣良さんの実弟。現在はMBC以外にも,県内のテレビ局でも活躍中)が代役で担当していたので,「猪俣さんに何かあったのだろう」とは思っていたんですよ。だって代わる前の放送では,声がかすれていたので喉の病気なんだろうかと・・。そしたら「暫く休み」ということで吉俣さんが代役をずっと勤め,今月から番組名も「むっちゃんのいきいきサタデー」から「吉俣とよしげのいきいきサタデー」に代わり,正式にバトンタッチした矢先だったんで,吉俣さんが自分の番組をちゃんと引き継いでくれたんだと確認してから逝っちゃったのかなって思ったり。

 

 

 MBCにとって今後,味わいある鹿児島弁を語れる人が誰もいなくなってしまった。MBCラジオは鹿児島弁を語り継ぐ看板番組があり「生協コープpresentsさつまお笑い劇場」「さつま狂句」では,お年寄りや,鹿児島弁研究家の先生方が納得される発音・使い方が出来る人じゃないと担当できない番組があります。 猪俣さんの後を継げるMBCタレントは,以前だと「はた真弥」さんがいたのですが,諸事情でMBCには在籍できない。となると,吉俣とよしげさんか,MBC専属として大活躍中の野口たくおさんしかいないのですが,いかんせんまだ瀬川さん,猪俣さんの地位には遠く及ばない。 それが理由なのか,最近のMBCホームページを観ると,パーソナリティページに今までなかった「浜田順子さん」が出ています。

 

 この浜田さん,ある程度年配の方(というと失礼)ですが,猪俣さんと一緒に「さつまお笑い劇場」を担当されており,猪俣さんに引けを取らないくらい流暢に鹿児島弁を話され,そして鹿児島弁をよくわかってららっしゃる方だと思います。俺的に言うと,だいぶ前に猪俣さんと一緒に「さつまお笑い劇場」をやっていたような記憶があるので,もしかすると猪俣さんが番組後継者として,浜田さんを指名し,呼び寄せたのかなて思っています。だって,ここ10年の間,この番組のアシスタントをしていた何人かの30代女性タレントよりも,暫くラジオから遠ざかっていた浜田さんをあえて選んでいるので。

 

 

 それと今日,猪俣さんが長年やっていたラジオCM「印刷会社の新生社」

 

「課長さん,こん書類はどこでいんさっしもんそかい?」

   (訳:課長さん,この書類はどこで印刷すればいいですか?)

「えぇ,そんた新生社がよかが,しごんも早かし上がりも良かど」

   (訳:えぇ,それだったら新生社が良いよ,仕事も早いし仕上がりも良いよ)

「いんさちゃすっぱい新生社」

   (訳:印刷はやっぱり新生社)

 

を,吉俣さんが同じ台詞でやっていましたが,ハッキリ言って軽すぎる。でも代役者がいないから仕方ないのも現実。はた真弥さんが居てくれたら・・って思う。

 

 

 

それとMBCさん,頼むからいつか「ど~んと鹿児島」で,むっちゅんの追悼番組をしてください,これだけ幅広い年代から愛された人っていないよ,ホントに。それと三反園知事さん,猪俣さんに県民栄誉賞を与えてください。三反園さんは鹿児島を離れた期間があるから,あんまり思わないかも知れないけど,周りのスタッフや県議会議員の人達に聞いてみてよ,むっちゃんの偉大さがわかると思うから。

 

その野口たくおさんのFacebookにて,猪俣さんとのエピソードが載っていました。

「野口っくん,「猪俣さん」といわれると堅苦しいから「むっちゃん」でいいよ」と言われたそうですが,さすがに20歳以上の年の離れた大先輩に対して「ちゃん付け」で呼ぶのは無理だったようで,ずっと「猪俣さん」と言っていたそうです。そんな気さくなエピソードも泣かせますね・・。

 

 

先程述べた,写真付きで紹介した猪俣さんの「からいも飴はやっぱ,富士あめで~す」というフレーズ・・。ご冥福をお祈り申し上げます。