数年前、この同じアメブロのある項目で2年ほどブログを書いていたことがあります。
「基礎」
があるんですから
決してメジャー級のジャンルではありませんでしたが、休止する半年くらい前からはほぼ毎回読者数1位でした。(ブログ村?とかそう言った類のいくつかのサイトにエントリーしていました)
私にとっての「その時」は丁度オンタイムでの内容でしたので興味のある人が見てくれたのでしょう。
それも「その時」が終了したのでブログも休止としました。
自己紹介と書いておきながら過去ブログの経験を書いてしまいましたが
まぁこれも自己紹介の一環ということでご容赦下さい。
さて自己紹介前に書いておいた方が良いのかな、と思いますので予め最初に書いておきます。
次に該当する方はこれから私が書く内容のブログは読んでもあまり意味がないと思います。
そんな方達の貴重な時間を割いてまで読む内容ではないと思いまので一考して下さい。
1、早慶に入る事など決して難題だと感じていない、或は難関大学のうちに入らないと思っている方。
1、早慶くらい簡単に入学させられる、或は自分も同等以上の大学か(ここで言う「以上」とは偏差値を指します)大学に行っている、或は行っていたという方。
1、別に早慶に魅力を感じていない方
これから私が書いていくことは私自身の生き方と、どう子育てをしてきたかを書いて行くつもりです。
そしてこれも始めに書いたことですが、(これからも必要なら何度も書くことになると思います)
このブログの目的は「私にとっての回収」であり、記録であり、回顧録です。
その中で皆さんが「なるほど」と感心したり、同意、賛同する箇所が少しでもあれば、それで「良し」だと思っています。
またもしこのブログの内容のどこかに、これからの貴方にとって指針の一途になる事柄があるとしたら幸いに思います。
従って大したコンセプトもありません。難しい事も書きませんし、書けません。私はそんな博学者ではありませんから。
私のこのブログを読むルールを作るとすれば、「気楽に読む」と言う事でしょうか。
それでは書ける範囲で自己紹介を書かせて頂きます。
私は関西方面で生まれ幼少の時に、父の仕事の関係で関東のとある県に一家転住して来ました。
中学高校は公立で所謂「ガキ大将」から「悪ガキ」そして「半グレ」という、そっち方面のレールに乗っかった小中高生でした。
悪ガキ自慢をしても何もなりませんが、おそらく普通に生きてきた人達にとっては決して経験することのない世界にいたと思います。
かといって所謂アウトローの世界に入ったとか、刑務所に入った事があるとかという類ではありません。
そう言う意味で言えば逆に一番タチの悪い「半グレ」と呼ぶのが適当だと思います。
父は土方の親方で母屋の隣に従業員が住むマンションや一軒家がありました。
それらは我が家の所有物件でした。
よってどちらかと言えば金銭面では普通以上に裕福な家庭で育ったと思います。
ここで最初のキーワードが早速出てきました。
「お金で学力を買うことはできるのか
」
」という事です。
私の親は勉強したいと言えばいくらでもお金は出してくれたでしょうし、
もっと言えば頼んでもいないのに家庭教師までつけられた日々もありました。
後に詳細を書いていきますが一言で言うなら幼少の頃は
「理不尽なスパルタ教育」
を受けさせられました。

さて4人兄弟だった私達は学力の結果だけで言えば1番出世が私で唯一、4年生大学を卒業しました。
1人は高校卒業後専門学校へ行き、後の2人は何とか高校を卒業した程度です。
学歴で言う一番出世の私が慶応、早稲田に行ったと言うなら、それはそれで数年前に流行った「ビリギャル」の様な物語にもなったでしょう。
しかし私は偏差値42〜44位の札付きの悪高校を他の兄弟と同じ様に何とか卒業しただけです。
因みにビリギャルの女の子は高校でビリだったかもしれませんが、実は結構なハイレベル偏差値高校に通学してたんです。
そりゃやろうと思えばできますよ。
「基礎」
があるんですから
私は?と言うと大袈裟ではなく本当になんとか、かんとか、あの手この手、ない手まで使って高校を卒業したんです。
だから30数年前の高校時代の夢を未だに見るんです。
夢の最後は、いつも「お前は卒業できない
」と先生に言われ、うなされて起きるのがパターンです。
」と先生に言われ、うなされて起きるのがパターンです。そんな私がどうやって4年生の大学に行けたのでしょうか。
今の様な少子化の時代ではありません。4年生の大学に入る事は、普通の学生でも結構大変な時代でした。
よって当時の私にとって4大はあり得ない事変だったのです。
因みに私の同期は8クラス350人スタートで卒業したのは240人前後だったと思います。(100名以上の退学も凄いですが、バイクで死んだ生徒も沢山いました。)
そして4年生の大学に行ったのは私を含め3人だったと記憶しています。(うち現役は1人)
350人スタートと書きましたが私の半グレ度はダントツ1位でした。
高校1年の1、2学期はクラスで成績は言うまでもなく「ビリ」
3学期で赤点教科8つを取り戻さなければ原級留置、所謂落第という事態まで追い込まれていました。
また当時の高校は落第=退学を意味していました。
そんな私がどうやって高校を卒業し、大学に行けたのか。
こう書くとビリギャルに全く似てなくもないですね。
しかし続きは次回にしましょう。
最初に書きましたが、私の話は一切の着色、脚色そして嘘はありません。
私のこれまでの人生を振り返ると、当にh「波乱万丈」「事実は小説より奇なり」と言えるかもしれません。
しかし、話が進み現在に至る頃には素性を伏せる為に多少の着色や、筋を曲げない程度の書き換えはする事になると思います。容赦下さい。
では第3回でまた。

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