私が育った環境は、床屋の跡取りでした。
父が理容師として私たち家族を育ててくれました。
戦前、横浜に店舗を構えていた両親を襲ったのが、空襲で焼け野原になった街でした。
二人で懸命に生業していたお店でしたが、一瞬で焼け野原と化した。
両親は顔立ちも似ていて兄妹と思われていた。「似た者夫婦」と言われますが、私たち兄弟は、両親によく似ているといわれる所以です。
しかし性格は全く反対でした。
誠実で真っ正直な父と
明るくて人付き合いの良い母
この二人の組み合わせがお客様にとって安心感を与えてくれる存在であった。
戦後まもないころは、父は私たち家族を食わせることが第一で、店を持つよりも安定した収入を選んでいたようです。
やっとの思いで、二代目の店を構えたのが蕨の地でした。
UNIXの創業の地と言える場所でした。
当時の蕨は周辺に田畑が広がるのんびりした風景が残っていて、寄り道をする面白さがたまらなく楽しかった。
しかし、街はどんどん変わってくるもの
畑や田圃は宅地化され住宅が立ち並んできました。
自然にお客様も増えてきて、両親だけでは手が足りない??
学校から帰ってくると店の手伝いをされる日々??
中学高校時代は、よく腹が減る???
空いた腹を満たすのは、サツマイモと相場が決まっていた???
だから、自然と道草が多くなる???
高校に入学して野球部に入部??
中学まで何もせずに道草部にいた自分が急に野球部に入って活躍できるはずもない??
というより、一番遅くまで練習をやっているクラブが野球部だった??
何とも情けない理由で野球部を選んだ。
それもこれも自分の道はなんとなく両親に決めた方向に進んでいる??
それに特に疑問を描いていなかった。
いつかは、おやじの跡を継がなくちゃ・・・・・
そう思っている自分も嫌いではなかった。