助け合って生きるための学問
誰も、この苦しみを、気持ちを、わかってくれない。
誰も俺の事を本当にはわかってくれない。
この思いは、誰の胸にも、死ぬまで付きまとうものである。
人間は、本質的に、根元的に、
誰でも、皆、さみしいのである。孤独なのである。
しかし、また、人間は、
この誰にも理解されない心を抱えて
人と共に生きて行かなければならない存在である。
そこで、人間は、人と共に生きる為に
人に語りかけ、話し合い、理解し合えるように努力するのである。
いや、努力しなければならないのである。
なぜなら、みんな同じ人間であるからだ。
この、孤独である人間が互いに理解し合おうとし、
その為に、全人類に共通する真実を求め、
それを手がかりに助け合って生きようとする努力、
これこそが他ならぬ哲学なのである。
主義主張で対立する事が哲学なのではない。
世界に雄飛する日本哲学への想い
日本人の哲学的思想的原理が「感性」であるとすれば、
感性論哲学は、
正に日本人による日本精神の哲学的な自覚表現であり、
真の日本哲学の誕生を意味するものであると言い得るだろう。
理性を柱とした西洋文明が行き詰まりを露呈している現在、
感性を柱とした日本の哲学は、
単に日本哲学であるのみにとどまらず、
世界文明の打開という見地からすれば、
世界的思潮にまで成長しなければならない必然性を
持つということができる。
民族としての国家的思想の確立が
真のその民族の国際社会における自立を意味し、
それこそが国際社会における自覚的活動の原点であるとすれば、
世界の先進国の仲間入りをし、
経済大国となり、世界を指導するブレーンの一角を担う重責を
あずかり得た日本は、
今こそ自覚的に自らの思想と行動の原理を日本的感性に置き、
感性論哲学の体系に支えられた論理と確信に立って、
世界の舞台に雄飛しなければならない時を迎えていると言って過言ではない。
日本人は今、民族の哲学と言い得る、
地に根の生えた、血肉となった思想を、
自覚的に持って行動することを、世界から要求されているのである