我が家はなぜか年寄りが集う場所になっていたようです。
過去をさかのぼると最大5名の年寄りの面倒を見ている時期がありました。
私の両親、妻の母親、父の妹二人(私の叔母)の5名もの年寄りを面倒をみていた事が懐かしく思います。
当時は妻も健在で、実際には彼女が介護をみていたといってよいでしょう。
東奔西走という言葉がありますが、彼女の活躍はまさにその通りでもありました。
私の両親は、御宿の地に住居を建てた関係で10年近く二人で住んでいました。
しかし母親が少しずつ認知症が顕著になってきて、二人で生活するのが困難となり、現在の我が家に来ることになりました。
当時は妻の母も同居していましたので、3名の年寄りになっていました。
そんな中で、父の妹二人が大宮で生活をしていました。
しかし、この二人も寄る年波には勝てず、近くにいるとの理由から、お二人の身の回りの世話をするようになったのも妻の役割でした。
妻は、叔母二人の面倒を良くみてくれました。二人の叔母は、彼女をとても気に入ってくれて、何でも相談をするようになりました。
そんな関係からなんと5名の年寄りの面倒をみることになってしまったのです。
今から10年程前に父が他界してからは、一人欠け二人欠けとして、現在は、101歳の叔母と、98歳の妻の母親の二人が残されていました。
しかし、残念な事に今月16日に101歳の叔母を安らかに他界いたしました。
我が家はとても長生きの家計だと思います。
父が88歳、母も86歳 妻の母が98歳(継続中)叔母(上)101歳 叔母(下)88歳
101歳の叔母は数ヶ月前まではとても元気でした。
私のこともしっかりと判るし、足腰が悪く車椅子生活でしたが、記憶もしっかりとしていたことが生きている証でもあったのです。
施設の方々も大変良くしていただきました。
晩年は、本人曰く「今の生活にとても満足している」と常日頃言っておりました。
今のような介護保険制度が整ってから、急激に増えた特養や老健等によって、どれだけ多くの方々が救われたことでしょう。
この制度の目的は確かに終末期を迎えた老人たちを対象にして入るのですが本来は家族の負担をいかに軽減するか! というところに主眼があるように思います。
よくある話で介護疲れから親子心中なんて話が以前はありました。
私が経験した中で、妻の介護をしてくれた訪問医療の皆さん方の親切な対応には頭が下がる思いです。
介護をしてくれた看護師さんたちの心のこもった対応は妻が安らかに過ごせるようになった大きな要因でもあったのです。
妻とはいえ、介護に明け暮れる日々はとても順状な神経ではいられないときもあります。仕事のことや、生活のことを含めて介護に関わることの大変さを経験として知ったとき、介護保険制度の素晴らしさを痛切に感じました。
制度があるからこそ、医療や福祉の世界でも充実して環境が整い始めているのです。
叔母は生涯独身で過ごし、身寄りがありませんでした。しかし彼女が安心して過ごせたのは周囲の環境が整っていただからこそ101歳の天寿を全うできたのだと思います。
社会保険制度は高齢化社会を迎えてより厳しい現実にさらされていますが、この制度の素晴らしさを改めて思い知った自分でもありました。
明後日。叔母の葬儀を執り行います。
本当に家族だけのしめやかな葬儀になりますが、「今まで良くがんばった」と叔母をたたえてあげたいと思います。