7月9日に「ハイディ日高300店舗達成記念」のパーティーが開催されました。
当日、創業者の神田正会長が1時間あまりの講演をしていただきその内容をお話させていただきます。
まず冒頭になぜ300店舗達成のパーティーを開催したかの理由です。
1999年ハイディ日高はJASDAC市場に上場を果たしました。上場当時の店舗数は58店舗、まだまだ先のわからない状況でした。当時社長だった神田さんは記者会見で「少しは大法螺を吹こう」と思って、目標が300店舗です。
と応えたそうです。
そして今回その目標が達成できた御礼を兼ねて、取引先を始め、お世話になった方々をお招きして祝賀の宴を開催されました。
そして氏が述べられたことは3つの集約されているのです。
① 運が良かったこと
② 社員ががんばってくれたこと
③ 取引先が協力をしてくれたこと
上記の3つをあげていました
神田さんは昭和16年生まれ71歳になります。終戦後家計を助ける傍らでキャディーを通して人柄を見る癖がついてきた。それが商いをする上で役立ったことのひとつだそうです。
ラーメン店を開業するきっかけはキャッシュフローがとても良い仕事だと認識し、そして自分でも作れるだろうと考えたのがきっかけだったそうです。
そして今の事業に発展した来た要因として
① 運 ② 人材 ③ 大企業の参入がない
④ 駅前屋台の再現 ⑤ 牛丼・マクドナルドの隣に出店
またバブルがはじけたことが好転をし、不景気に強い体質が備わってきた。
なぜ市場は価格にこだわるのか?このような要因が今の日高屋を築く力となっているのです。
現在ではアルコール比率が15%まで上昇、駅前屋台の延長線を築き上げているのです。
10人のお客様のうち6名が満足する味を追求「そこそこの味」を作り上げたことが成功へのステップになります。
能力・知識・経験<情熱・執念
この公式を考えるとハイディ日高の原点が見えてきます。
70歳を過ぎても夢をもち続けることが、現役としての役割でもあります。
もし夢を失ったとき、自分はその場を去る。ともおっしゃっていました。
プライベートや勉強会でご一緒させていただくことの多い神田会長の一言一言が私にはすごい重みを感じています。
私の昼食の週二回はハイディ日高でお世話になっていることを考えると、理念が実に明確に実践されているなと感じているのです。
皆さんも日高屋に足を運んでみてください。
飽きない味に満足されるはずです。