今回は、執行役員営業本部長の「永瀬博巳」を紹介いたしましょう。
彼との出会いは、1983年のさかのぼります。なんと30年弱の付き合いになるのですから時間の経過するのは早いものです。
30年前のUNIXはまだまだ地方の弱小サロンでもありました。
店舗数も数店舗程度、人材を採用したくても都内の美容学校から採用するほどコネクションもありません。
そこで思いついたのが東北地方の高等学校を周って求人の申し込みをすることからはじめたのです。
北は青森から岩手・秋田・山形・宮城・福島・新潟・栃木・群馬と周るうちに少しずつ採用のコツを掴み始めました。
まだまだ景気の良い時期で、採用することの難しさを痛切に感じている頃です。
特に進学校に訪問をして美容師になる薦めの話をする際、ある学校では「うちの学校には美容師になるような馬鹿な生徒は居ません」というような発言をいただき、この一言が私に燃え滾る闘志を与えたのは間違いありません。
また同様に一般社会の方々の美容師への評価は、「頭が悪いのだから美容師にでもなったら?」というような職業観があったのも事実でした。
今でも「美容師は独立して一人前」という社会通念があるのも、この仕事の問題点でもあると考えているのです。
このような時期に若者を採用をするということは至難の業でした。
彼が入社をしてくれた理由のひとつの理由に、埼玉に親類が居ることがひとつの安心感としてあったのも事実です。
また、地方から来られる方の為に社員寮を用意することが必要がありました。
このよう条件を備えて、地方の採用に出かけたのですが、それでもなかなか良い返事をいただけるまでには至りませんでした。
新卒採用者は「金の卵」と評し、大企業が網ですくうように全てを採りつくしてしまう時代でもありました。
彼が入社して初めに配属になったのが柏店でした。
柏店はUNIXとしての初めての千葉県出店で、埼玉のUNIXから関東のUNIXへの足がかりになる店舗でもあったのです。
UNIXが取り組む店舗は必ず忙しくする自信もあり、お客様がひっきりなしにご来店いただける店舗として地域一番店になっていたのです。
当時の店長はわが弟、現在の管理本部長が辣腕を振るっていました。
入社当時の彼は、まだまだガキ大将の域から抜け出ていないこともあり、遅刻の常習犯でもありました。
仲間が寮まで迎えにゆくと、まだまだ夢心地ということもあったようです。
みかねた店長が、彼に罰を与えました。
「一週間のトイレ掃除」
そんなものくそ喰らえ!そんな大胆さもあった彼に一大転機が訪れたのが、川口店への転勤でもありました。
この話を次の機会にお話を致しましょう。
彼のまつわる逸話はこれからが本格的な話になるのです。