少し時間が経過してしまいました。


前回、お約束した「城戸寛子」と、その仕事ぶりについてレポートいたします。


彼女が育った町は、農業の振興が盛んな地域でもありました。


そんな自然豊な土地で育った彼女がUNIXの入社された頃は、


まだ㈱サンライズと称していた頃でもありました。


店舗数も5店舗程度、川口に初めて大型のショッピングセンターができた時期でした。


彼女はその川口グリーンシティー店の店長を経験する中、


創世記のUNIXを支えてきた貴重な存在でもあるのです。


そして、現在は研修サロンとして、UNIXカットラボが川口に存在し、


若手の育成と、UNIX研修プログラムの一環として一定の技術水準を保つ役割を担っているのです。


彼女の下を育った技術者たちが今のUNIXの技術を保っているといっても過言ではありません。


デビューを果たすには彼女の厳しい関門をくぐりぬけなくてはなりません。


現在、美容学校は2年間の教育機関があり、卒業後UNIXに入社してまいります。


しかし、美容学校を卒業してもお客様を担当できるまでにはまだまだ勉強をしなくてはなりません。


UNIXにはその基準として100項目からの認定試験があり、すべてクリアーしなくてはデビューを果たすことが出来ません。


一定の基準を設け誰でもが納得するからこそ、デビューまでの道のりの厳しさがあるのです。


若手の技術者たちが、彼女の徹底した技術管理の下で育ってこそ、一流への登竜門となっているのです。


どの仕事も、基礎がもっとも重要です。


私たちも基礎を学ぶことに努力してまいりました。


その点では城戸の仕事は欠かすことも出来ない大切な役割を担っているのです。


UNIXの社員諸君が全社員が一定水準であることは、このような仕組みによって活きており決して粗製乱造にはなっておりません。


また、1人のスーパースターとあとは並び?といったようなサロンではありません。


常に一定の水準を保つことこそ、UNIXに課せられた使命だと認識しています。


若手が育ってゆく環境にはそのような苦労も伴っているのです。