昭和46年にこの大会が開催されました。種目は、ブロース・クラシカル・フリースタイルの3種目、出場選手は200名近くに昇りました。

この大会は、総合優勝には世界大会派遣と賞金50万円と破格の大会で、理容師にとって夢の登竜門でした。

まずはモデルを使ってのブロースから種目が始まりました。この種目は今で言うと角刈りとでも言いましょうか?但し品の良い角刈りで、決してヤクザっぽくなってしまっては採点基準を満たす事ができません。髪の毛一本一本を点とすれば、その点をつなげた線を作り上げ、線を集めて面を作り出す!つまり芸術的テクニックを要する技術でした。

このモデルをお願いしたのが、髪の毛が針金のような強靭な髪でもあり、丸い顔にぴったりのスタイルでもありました。競技時間は40分だと記憶しています。

第二種目目はクラシカル、オールバックのスタイルですが、カット技術とセット技術がミックスしたテクニックで、光り輝くラインを描くのがテクニック的に最も難しい事でもあり、私の好きな基本形でもありました。

モデルになっていただいたのは、蕨に戻ってきてからお客様としてご来店いただいた方で、懇願をしてモデルになっていただきました。この種目も時間は同じ時間で競技が行われました。

そして第3種目としてフリースタイルです。

この種目にはプロのモデルを起用!出来上がったスタイルのみではなく全体のバランスやファッション性を追求した種目でした。

私がお願いしたモデルは、当時、売れっ子モデルでフィは安くはありませんでした。

しかし彼とはとても気心が合って、友人としても仲良くなり、大会終了後も友人として付き合うようになりました。大会前日の準備には、我が家に宿泊して当日の大会に臨んだのもこの大会に掛ける意気込みが高かった。