あけましておめでとうございます。


いよいよ自分史も佳境に入ってきました。今年からは、自立編をお送りいたします。

自分の歴史を語る上でいろいろな方々との出会いが、人生の指針となってくれました。人との出会いこそ自立への道筋でもあり、登場してくれる全ての方々の感謝を申し上げたいと思います。



次弟、徹朗とは4歳の年齢差がありました。彼は春日部高校に進学をして水島家にとっては優秀な頭脳を備えていて、彼が大学進学をしてくれることを家族全員は願っていましたが、なぜか、2年生のときに受験戦争に嫌気がさして、自分は「兄貴と同じ道を進む」と断言して九州の叔父の家に家出をしてしまったのです。両親と話し合って私が迎えに行くこととなりました。


 再度、延岡の地に足を踏み、彼と話をして彼の希望を受け入れるようになりました。当然叔父をはじめ小泉家の皆さんも相談に乗っていただけたのです。そして彼の転換の要因が私自身にあったのです。


修行時代、たまに実家に返って仕事を楽しんでいる話をする中で弟達がその魅力を次第に受け継いできたのです。そんな彼が卒業後、理容学校に進むということもあり、彼の高校の卒業時期に合わせて、父の跡を継ぐことになりました。

昭和42年秋、父と母の二人で運営していた「バーバーミズシマ」を受け継ぎ、私が経営をする事となったのです。私が帰ってくるに当たって、父に話をしたことは、今考えるととても生意気な言い方でした。今考えるとゾーとするようなことでもあるのです。

「自分か帰ってくるに当たり、全てか任せてくれなくては意味が無い!」なんともえらそうな事がいえたものです。