コダマ一族は当時、研究団体の理容芸術協会に加盟しており、この団体の活動を通じて理容師の技術向上と意識改革に取り組んでいました。

当時の業界は、組合を主体で動いている同業組合と、研究団体が主体で動いている団体と二通りありました。児玉啓師を始めコダマ一族は、理容芸術協会の幹部として全国を束ねる要職についていました。全国に支部があり、その活動範囲は日本全体に広がっていました。

この研究団体は、東京の存在する団体の中で大手に属し、業界の著名人をたくさん輩出していて青春時代の私にインパクトを与えてくれた方々がたくさん居ました。

人とのつながりを強く考えるようになったのはこの団体に所属からでもあります。入会当初は単なる受講生でしたが、次第に認めてもらえるようになり、時には地方支部に講習に招かれるようにもなりました。

それは、技術的修業を積み重ねた結果、コンクールで上位入賞を得たり、時には優勝も出来るようになったことが周囲の方々に認められ、講習活動に参加できる存在になってきました。

講習当初、参加者の前で話をすることができず、戸惑いながら自分の技術に没頭する事もありました。それでは参加者に何の理解も得られないことに少しずつ解ってきて、人に伝えるにはどうすればよいか?考えるようになりました。この経験が私にとって人を育てる原点にもなってきたのです。


自分が伝えたい事を人に伝えることはとても難しい。時には自分の考えが、まるで伝わっていないもどかしさも味わってきました。

他の講師の方々はどちらかというと、自分の技術の披露!という感覚で、講習活動をされている方々が多くありましたが、私は教える立場として、考え方や技術のやり方をどう伝えることが良いかを考えるようになりました。


このような講習活動から学んだ事が、自分自身にとって人を育てるには!という最も大切な課題についてノウハウを得ることができたのです。

しかしその講習活動から問題点も見つかり、次なるステップにつながってくるのですから、どんな事にでも見習うべきものと、改善するべき事柄が混在しているのですね。