昭和38年4月、私が始めて社会に出た「理髪コダマ」は、当時理容業界では優れた店舗として業界内の評価の高い店舗でした。当時は住み込みで修業をするのが慣わしで、本店が大塚、支店が茗荷谷にありました。茗荷谷の店舗が主力でもあり、たくさんの従業員が住み込みで仕事をしていました。
自分が始めてこのサロンを訪れたのは学生時代でした。真冬の寒い季節で訪問をすると待ち構えていたように従業員のリーダーの方がなんと自分のコートを肩から手を回していただき手伝ってくれたのです。
自分はビックリ!今まで味わった事のないサービスに驚き!この社会のすごさを感じた瞬間でもありました。
父が経営していたサロンでは、ありえないサービスに、自分自身がこの世界に飛び込む事への一抹の不安も感じていた。こんなことできるだろうか?と。
そして、入店をしたときには、なんと自分と同じ年の従業員が数名いて、皆さんが中卒で理容学校を出て修業に付いた人たちでした。
あとで聞いた話ですが、自分の入店はとても話題になっていたと聞き及びました。それは高校球児であるとのことで、とても興味深々で出迎えてくれたのです。当時の理容師を目指す人は中学を卒業して理容学校に進学、1年間の専門学校を終了して理容店でインターンを送るが常識でした。
私は高校を卒業と同時に、理容学校も秋には卒業していていきなりインターンに入っていたのです。端的に言うと、通信教育で理容学校を卒業するには当時2年の時間が必要でした。