翌日には市内をいろいろと連れて行っていただき、高千穂峡にも連れて行っていただきました。
その家には二人姉妹がいてそれはとても美人でした。恋心を抱いたとしての不思議ではありません。しかし、いとこ同士ということもあり、ほのかに感じてはいたが、それ以上には進展しませんでした。
まさかその後、その家族とは強いつながりが生まれ、UNIXになる前のサンライズ時代を支えてくれた一人になるとは思っても見ませんでした。
人間社会ではいろいろなつながりによって成長をしてきます。このときの出会いがUNIXの基礎になってこようとは、その時はまったく感じていなかった。つまり、わずか数日間の出会いが人の一生を左右するまでに広がるとは、今、考えれば必然でもあったのでしょうが、出会いを大切にすると言う事が今になって考えると大切な出会いだったのでしょう。彼女達との出会いがUNIXの将来に関係するにはこれから10年近くあとの話になるのですが、不思議な縁もあるものです
「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎすぎもせず、一瞬遅すぎもせず」 森信三先生語録より
この言葉は良く耳にしますが、人の出会いとはこのようなことを言うのでしょうね。
その後、この旅は霧島高原や桜島等をゆったりと1人で巡った旅でもありました。私の旅好きはこれがきっかけに講じてきたのかもしれません。
そして卒業までの半年間は、本当に学生時代を謳歌していました。クラスの中間達とはそれまでは接する時間は授業中だけでしたが、この半年間は仲の良い友人達と思い出作りに励んでいたのです。