第二部をスタートいたします。


中学から高校への思春期をどう過ごしてきたか!読者にとっては50年以上の前の話でもあり、時代の違いに面食らう事もあろうとおもいますが、読んでいただけると幸いです。

今の時代と比べるととても幼稚で純粋な時代でした。だからこそガキ大将が存在していて、同年代だけでない、世代を超えた、関係が築けたのかもしれません。それこそが今の時代に不足しているのかもしれません。

私のブログを見ていただき、今の時代への警鐘とも受け取っていただけるとうれしいですね。

打ち込む事があり、一生懸命になれることの大切さが少しでも活かされれば最高です。


 私が中学に入学したのは昭和33年春、杉並区立阿佐ヶ谷中学校でした。杉並第六小学校は5年6年の二年間を過ごし、当時につけられたあだ名が「こんにゃく」学校での授業態度が正面を向いていることがなく、あっちを向いたりこっちを見たりと興味の有るものがたくさんありました。

例えば、突然後ろにいる友達のことが気になってきます。そのため授業中でありながら後ろの友達に話しかけすぐに解決しないと気になって集中できなかったのです。又、気になることがたくさんありました。先生からすると落ち着きのない勝手な子供に映ったのでしょう。今でもこの性格は変わっていないともいえます。周囲の皆さんをドキッとさせることを平気で行ってしまうことがあり、又、それが新しい発想が生まれてくる原点になったり、気付いたことを出来るだけ早く解決できるようになって来たのでしょう。母親から聞いた話ですが、担任の先生から「水島君は落ち着きがなく、将来不安です。ここままだと授業に付いてゆけなくなりますよ!」と注意を受けたと聞きました。

しかし、この担任の話を母は鵜呑みにしていませんでした。「お前が気になることがあるならそのことを真剣に考えろ」と返って私に火をつける事になってしまったのです。