それにしても私達兄弟はよくケンカを致しました。そのくらい兄弟の仲は良かったと自負しています。面白いのはすぐ下の弟の徹朗でした。徹朗と誠一がチームを組んで私に対抗をすることがよくありました。兄貴として君臨をしている自分に時には反発をして取っ組み合いになることもありましたが、最後は仲に母が入って一件落着になっていました。


 そんな兄弟でしたが、母がいないときはさすがにケンカなど一切ありませんでした。母から叱られることがたくさん有りましたが、その一言ひと言が今思うととても大切なことを教えてくれました。


「兄弟皆平等」と言う言葉には、五つのパラダイムの基本となる「公開・公平・公正の原則」の原点となっている言葉になっています。

そんな環境の中であるときは厳しく、あるときは優しく味のある言葉を発してくれた母には心から感謝したいですね。

そんな私達家族に特に気に掛けてくれたのが田中さんご一家でした。

 この寮に3年間いる中で一番親切にしていただいたこのご家族には心から感謝をしております。


 母の入院で半年余り、私達家族はある種支えあって生きてきました。それも周囲の方々の応援があってこそ惨めな思いをすることなく過ごすことが出来たのです。夕食の食卓は、田中家で済ますことも多々あったくらいです。それでもそのご家族は暖かく私達を迎えてくれました。

又、田中さんのご主人がとてもテレビが好きで、私を誘ってラーメン屋のよく連れて行ってくれた。それはプロレス観戦がその一番の理由です。

当時は力道山一色で各家庭にテレビはまだありません。