又、4歳違いの弟がいてよくケンカを致しました。小学生の頃の4歳違いは体力的にも私達が志村にいる間は、弟達と一緒に遊んだとしても兄として絶対的権力を有していました。そんな私に母から「兄弟は平等」という言葉を何度となく聞かされ食事のときでも洋服を買うときでも兄弟平等にしてくれたことに、今では心から感謝しています。
「公平の原則」という言葉は当時の教訓から生まれてきた言葉でもあります。子供達を常に同じように扱ってくれたからこそ、その後の私にとって兄弟が果たす役割は今の企業を起こす最も中心的役割を持ってくれました。
よく父が言っていた言葉があります。貧しい中でも「家には男3人兄弟がいる将来は必ず何かを成し遂げる!」と母の実家の裕福さや父方の兄弟にもよく言っていたのを思い出されます。子供達にかける期待の大きさをその頃から感じていたのかもしれません。
そんな小学生低学年時代に一つだけ自慢できるものがありました。
それは展覧会で私の絵が一番に選ばれたことです。そのことを母に告げてもまったく信じてもらえず、近所の人からの伝言で見てくれました。
その作品は板橋区の特選となって大きな展覧会まで出展いたしました。あとにも先にも、私の絵心が評価されたのはこのときだけで、その後の図画工作の評価は常に2のままだった。今でも絵のセンスはまったくなくなぜ評価されたのか理由はまったくわからないし、どんな絵を描いたのかも定かではありません。人間、フロックでとんでもないことが起るのでしょうね。