お久しぶりです。
本を読みまくって映画をたくさん観てはいるのですが、なかなかオンライン授業が厳しくていけませんね。目が痛てぇ。
『フランケンシュタイン』、『サロメ』、『風と共にゆとりぬ』、『いぬ』等々…
今日は、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』について書いていきます。
確か中学三年生のとき、有名なタイトルに惹かれて読んだ記憶があります。
しかし、その時は「よくわからん本だなぁ」
で読み飛ばしていました。名作と呼ばれる所以が分からんかった。
しかし、この本の、
「小さい子を受け止めて戻す、僕はそういうキャッチャーインザライみたいなものになりたいんだ」
(私の"うろ覚えの記憶"より抜粋)
という部分はおぼろげに覚えていました。
とても素敵なフレーズだと思った。
そして本自体の印象はあまり残らなかったものの、私の人生の目標として
「誰かのキャッチャーインザライになる」
というフレーズが住み着いたのでした。
しかし最近、思い出してこの本を改めて読んでみました。
すると…あれ?この本、こんな引き込まれる本だったの!となった。
しかし、それはあまりいい意味じゃなかったんです。
(最初)ホールデンの言うこと分かるわー。世の中インチキばっかりで嫌んなるよな。
↓
(途中)ん?こいつなんか思考と行動がかなりかけ離れてるな。大丈夫か?
↓
(終盤)あかんあかん!そんな絶望に転げ落ちたらあかん!人生に戻ってきて!ホールデン!
↓
(読後)この本こわい…。ホールデンの言いたいことが分かっちゃう自分もこわい…。
こうして私の人生の目標から
「キャッチャーインザライになる」という看板が外れたのでした。
そこに至るまでに考えたことをつらつら書こうかな。
最初、読み始めたときはホールデンの語ることにいちいち同意したくなるほど彼に共感しました。本当に色んなことが、私の考えていることと合致するんです。
学校にあふれるインチキ生徒とインチキ校長を見て、吐き気がするほどうんざりする。
ジェーンがチェッカーの時に奥にキングを集めておく癖を大事に覚えていたり。
だいたいね、母校に寄付する奴とかもう気がしれない…学校大嫌いだし…
みたいな感じで、ホールデンの話すこと一つ一つが自分の気持ちを代弁してくれてるようで、すごく嬉しくなりながら読み進めていました。
しかし、途中から違和感を抱き始めました。
ホールデンは、色んな人をインチキ野郎呼ばわりするけれど、実際そいつらとは渡り合えません。
ストラドレイターに対しては、「腕力が圧倒的に足りない」
という分かりやすいものでした。
ホテルの売春斡旋ボーイのときは、「口の達者さ」とまた「腕力」。
そいつらをぶちのめす想像を頭ではするけれど、実際立ち向かおうとしても足が震えて上手くいかない。
下手な挑発ばかりしてしまう。
ここで、ホールデンの弱さというか、内向的な感じが見えてきます。
想像では上手くいくのに、心では相手に評価を下しているのに、現実ではうまくできない。
相手に敵わない。
これってすごく、心が内側に向かってますよね。現実と想像が噛み合ってないまま、ずっと行ってるんですから。
(ええ。このあたり、まったく自分で書いてて胸が痛いです。そうだよ、それは日陰者を極めた私のことだよ!)
そして、他にも腕のいいピアニストをこき下ろしたり色んな人に無造作にバツ印を付けていくホールデンですが、そんなホールデンにも心の拠り所や、感じがいい、と思う人もいる。
それは、亡くなった弟アリーとこちらは生きている妹のフィービー。
そしてカフェで出会ったキリスト教の修道女さん。
この両者に共通するものって?
そう、「イノセント」であり「世俗から離れている」ということです。
アリーに関しては、もうこの世にはいないのにアリーのことを褒めちぎって今でもずっと愛している。
アリーの思い出をとても大事にしています。
でも、その大事にするやり方が尋常じゃないというか…。
普通、近しい人が亡くなったら悲しくても、少しずつ思い出すことも減って、自分の人生に目を向けていきますよね。
なのにホールデンは、全くアリーのことを過去だと思っていない節があります。
思い出が色鮮やかなままなんですね。
これがちょっと、ホールデン大丈夫なの?となるポイントだな。
妹フィービーも、読んでいる限りホールデンの主観でなく、本当にいい子なんだろうなと思います。
しかしホールデンが彼女に抱く気持ちはそれだけではなく、「幼いからこそ純粋」ということと「近しい家族」が合わさって、自分が唯一思うことを話せる相手がフィービーということになっているんです。
私も兄弟がいるので分かります。
仲の善し悪しはあれ、同じ環境で育った兄弟には特別なシンパシーが存在していると思う。
でもホールデンは、あまりに妹や弟を神格化しすぎているように感じます。
全く同年代の子に共感したり、先生たち、親に敬意を払ったりすることなく、ただただ子供の無邪気さに救いを求めているんですから。
キリスト教の修道女の2人もそうですよね。
どこか会社で働いたりすることなく、神に仕えていて、学校で教えていたりする。
世間とはかなり離れた存在ですからね。
そんな清い彼女たちにホールデンが好感を持つのは、まあそりゃそうかあ…という感じです。
そしてどんどん悪い方向にホールデンは転がっていきます。
まず一見して分かるのが、ホールデンの体調が悪化していきます。
博物館のくだりにいたっては、気絶…。
人生で気絶すること、そうないぜ…。
その他、吐き気だったり頭痛だったり目眩だったり、ホールデンの体調の悪さが描かれている部分は至るところにあります。
そして女の子と上手くいかないんですね、彼は。
ホテルの風俗嬢相手に、ただ話をしたいんだといって気味悪がられたり。
見た目が超ホットな女の子、サリーとデートするも実際サリーのことを結構バカにしていて、最後にはかんかんに怒らせたり。
近所馴染みのずっと好きだった女の子、ジェーンには長らく会っていないのですが、電話一本かける勇気がなく、最後までジェーンと言葉を交わすことはありません。
ここら辺からもホールデンが現実とうまく折り合いをつけられないことが伺えます。
今まで唯一尊敬していた大人、と言っていいアントリーニ先生の元からも、先生を気味悪く感じたことから逃げ出してしまう。
(ここ、どうなんだろ?アントリーニ先生はゲイとかじゃなくただホールデンが可愛かっただけだと思うのよね)
そして一番怖いのが、ホールデンがどこか遠い場所に行ってろうあ者として暮らそうと画策するところと、メリーゴーランドに乗るフィービーを見て幸せを感じるところ。
最初のプランの方に関しては、自分も同じことを考えていたことがあった故に、ぞっとしたね。
ホールデンの内向を決定づけていますね。
結局インチキ野郎しかいないんなら、もう何も聞かず、話したりもせず暮らせばいいんじゃないかっていうことです。
そしたら平和だもの。
誰にも傷つけられたり笑われたりしない。
ここらへん、実際のサリンジャーの生活にも繋がりますね。
(サリンジャーの実際の来歴に関しては、そこまで調べてないんで憶測ですが。今後また調べよう)
フィービーがメリーゴーランドに乗ってるのを見てハッピーだったってのは、あれでしょうね。「純粋」でホールデンが愛する幼い子供であるフィービーが、ぐるぐると回り続けている→永遠に純粋でいられる、みたいなことを象徴してるんでしょうね。
前にも書いたことありますけど、「永遠」ってすごく怖いことやで。
永遠に幼い、なんてありえないのに、それをホールデンはそれを夢見ているんだもん。
こうして、自分に上手く言い訳して勉強に励めず、退学処分になったホールデンが数日の放浪の末、決定的に現実に背を向けてしまった過程が描かれた本が、この本だと思う。
救われないよ、ホールデン。だって君精神病院にいるんだもの。
これから彼はどうやって現実から無意識に目を逸らして、自分の中に閉じこもって生きていくんだろう。
そう考えると、ホールデンの行く末すら闇に沈んでいるように見えて、本当に怖い。
でも大体は、自分と考えてることが似てるから怖いんだろな。『鬼火』を観た時と同じような感じです。ホールデンが自分とあまり変わらないのが怖い。
以上、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の感想でした。
(そしてきっとまだ続く…笑)
