早いモノで、新年を迎えてから9日も経ってしまいましたね!
ところで、今年のお正月は特に遠出するわけでもなく、ゆっくり自宅に籠もって過ごしました。
最近のテレビは面白いものがほとんど無いので、もっぱら読書で新らしい年に向けてエネルギーをチャージです(笑)。
最近のテレビは面白いものがほとんど無いので、もっぱら読書で新らしい年に向けてエネルギーをチャージです(笑)。
年末年始用に図書館から大量に本を借りてきたのですが、その中で特に面白かったのが・・・
『鉄道忌避伝説(てつどうきひでんせつ)の謎』。
『鉄道忌避伝説(てつどうきひでんせつ)の謎』。

「鉄道忌避伝説」 → 「鉄道が通ると町が寂れると反対運動が起きたため、この町には駅が無いのだ!」といった類の話を、誰もが聞いたことがあると思いますが、これが「鉄道忌避伝説」といわれるものです。
この本では、主に明治時代における鉄道の建設期において、市街地に鉄道が通るのを住民が様々な理由により嫌って(忌避して)、反対運動を展開したために、鉄道が市街地を避けるルートになったり、市街地の外れに駅が出来たりしたと伝えられる、こんな「鉄道忌避伝説」のほとんどが、根拠も無いのにあまり検証もされずに、地方史などで語られた結果、それが学校の社会科の副読本などに採りあげられてしまい、子どもたちが社会科の授業でそれを学ぶことになって、「伝説」がいつの間にか定説になっていってしまったのだと一刀両断しています。
地方史では「鉄道反対運動があった"らしい"」となると、その事実が確認出来ないことであっても書かれることが多いのですが、さらにそれが学校の授業で取り上げられると全てが事実のように断定されてしまう。
しかも一度取り上げられると、その後はどんどん話に尾びれが付いて大きくなってしまうこともあったようです。
「三つ子の魂、百までも」ではないですが、子供のころに植えつけられた定説は、その人にとっての常識になる。
ということで、例え実際には無かった話であっても、後世の人々が後付けでもっともらしいことを考えて、それが教科書などで教え込まれると、簡単にそれが常識になってしまい、これを後に疑い、修正したり、否定することはとても難しいことなんだと、改めて教育の持つ重みや常識を疑うことの大切さを感じさせてくれます。
しかも一度取り上げられると、その後はどんどん話に尾びれが付いて大きくなってしまうこともあったようです。
「三つ子の魂、百までも」ではないですが、子供のころに植えつけられた定説は、その人にとっての常識になる。
ということで、例え実際には無かった話であっても、後世の人々が後付けでもっともらしいことを考えて、それが教科書などで教え込まれると、簡単にそれが常識になってしまい、これを後に疑い、修正したり、否定することはとても難しいことなんだと、改めて教育の持つ重みや常識を疑うことの大切さを感じさせてくれます。
例えば、東京近郊の中央本線。
東中野あたりから立川まで、約25kmにわたって東西に直線的に路線が伸びています。
今では多くの人が住んでいますが、建設当時は人口も希薄な武蔵野台地に線路を敷設し、なぜ人口の多い甲州街道沿いにルートを選定しなかったのかということの理由として、街道沿いの宿場町が鉄道を忌避したからだという説が広く信じられています。
東中野あたりから立川まで、約25kmにわたって東西に直線的に路線が伸びています。
今では多くの人が住んでいますが、建設当時は人口も希薄な武蔵野台地に線路を敷設し、なぜ人口の多い甲州街道沿いにルートを選定しなかったのかということの理由として、街道沿いの宿場町が鉄道を忌避したからだという説が広く信じられています。
例えば、愛知県の岡崎や山口県の萩、三重県の伊賀上野。
いずれも地図を見ると、確かに鉄道が市街地を避けているように見えて、「鉄道の通過を地元が拒んだために発展から取り残されてしまった。」なんていわれると、もっともらしく聞こえます。
しかし、実際は・・・・・・。
いずれも地図を見ると、確かに鉄道が市街地を避けているように見えて、「鉄道の通過を地元が拒んだために発展から取り残されてしまった。」なんていわれると、もっともらしく聞こえます。
しかし、実際は・・・・・・。
確かに古い町の市街地で運輸業や宿泊業を営んでいた方にとっては、鉄道は不要だとして建設に多少なりとも反対する方々はいたことでしょう。
また、当時の人々の中には、鉄道の持つイメージから、汽車から出る火の粉で火事になる、煙で稲や桑が枯れる、汽車の振動で地割れが起こり井戸水が出なくなる、また疫病を運んでくるなどと、心配する向きがもあったことでしょう。
おそらく、鉄道の開通によって全国各地で似たような悲喜こもごもの話があったと思います。
鉄道が通ったかどうかで、その後の発展に大きな影響を与えたことも確かです。
でも、それが「町をあげての反対運動」になり、その結果、その地域を丸ごと鉄道が避けて通ることになったとするには、かなり無理があるようです。
また、当時の人々の中には、鉄道の持つイメージから、汽車から出る火の粉で火事になる、煙で稲や桑が枯れる、汽車の振動で地割れが起こり井戸水が出なくなる、また疫病を運んでくるなどと、心配する向きがもあったことでしょう。
おそらく、鉄道の開通によって全国各地で似たような悲喜こもごもの話があったと思います。
鉄道が通ったかどうかで、その後の発展に大きな影響を与えたことも確かです。
でも、それが「町をあげての反対運動」になり、その結果、その地域を丸ごと鉄道が避けて通ることになったとするには、かなり無理があるようです。
本では、実際に鉄道が通らなかったのは、地元の意向とはあまり関係はなく、当時の機関車(当然、蒸気機関車です!)の性能からくる急勾配への制約や、トンネル掘削や橋梁建設技術の未熟さから長いトンネルや橋梁をなるべく避けたという地理的条件、大勢の人が暮らす市街地での用地買収や移転交渉などに困難があったことなどが、多くの地図や資料で実に判りやすく語られ、全国各地の「伝説」の謎が解かれています。
私が生まれ育った地域にも、こんな「鉄道忌避伝説」がありました。
子どもの頃は、「先人たちが鉄道が通ることをずっと拒んだから、開通が遅れて、この地は発展が遅れたんだよ。もし先見の明があれば、街はもっともっと発展して、新幹線もここを通ったハズだ。」とよく聞かされました。
子どもの頃は、「先人たちが鉄道が通ることをずっと拒んだから、開通が遅れて、この地は発展が遅れたんだよ。もし先見の明があれば、街はもっともっと発展して、新幹線もここを通ったハズだ。」とよく聞かされました。
いま暮らしている福島市でも、福島駅から分岐してそれぞれが仙台に至るJR東北本線と阿武隈急行線も、「本来は、東北本線は阿武隈川に沿って走るルートで計画されていたが、当時の伊達地方の養蚕農家の反対から、反対が少なかった現在の白石市を通る山越えのルートになった。このせいで川沿いルートの開通が遅れ、鉄道の恩恵を受けなかった地域は衰退したんだ。」と話す人がいます。
はてさて、どこにでもあるこのような話。
最初は、自分の生まれ育った土地が、その昔は隆盛だったことを懐かしがり、今の有様を嘆いた愚痴が拡大し、それは鉄道が無かった故に衰退したと、鉄道のせいに転嫁して、そして納得するということなのかもしれませんね。
最初は、自分の生まれ育った土地が、その昔は隆盛だったことを懐かしがり、今の有様を嘆いた愚痴が拡大し、それは鉄道が無かった故に衰退したと、鉄道のせいに転嫁して、そして納得するということなのかもしれませんね。


