毒キノコの森

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食べ物、旅行、趣味、病気、考え事
前向きだったり後ろ向きだったりします

こんにちは



私は、常々思っていたことがあります



人間って動物だよね

犬や猿や馬と大して違うところないよね



っていうことです



私が、人間が人間らしいと思う時はいつかと言いますと、理性的な言動を確認した時です



露出をするのが恥ずかしい、とか、得たものを自慢げに見せびらかすのはみっともない、とか、或いは、他人を見下す気持ちや貶す気持ちを改めようと努力している時です



動物には上下関係があります

上の者がより多くのものを得て、下の者はおこぼれや余り物を得るものです



上の者になった方が得が多い

それは、全ての生物としての本能である種の保存、オスやメスの獲得にも関係しています



私は、人間に残った最後の、ほとんど唯一とも言える、厄介な動物的要素が、この種の保存に関する反応だと考えています



種の保存の本能があるからこそ、異性を求め、異性を求めるからこそ上に登り、獲得の権利を得ようとし、それほどまでにDNAに深く刻まれた本能、目的を果たせない人たちを見下すのです



美しくあったり、豊かな暮らしができたりは、自分が快適に生きられるのにも繋がりますが、結局、それすら他者と世間の評価に寄る部分もあり、最後には本能というところに帰結する気がしてなりません



さて、最近、自分軸という言葉が流行っていますね



他人の評価に寄らず、自分で自分を肯定し、自分らしく生きようとでもいうのでしょう



本能が残る限り、これは非常に難しいことだと思います。難しいからこそ流行り、誰も彼もが自分軸で生きる方法を発信したり、考えたりするのでしょうね



正直、動物としての本能、種の保存に置いて、自分軸で生きることにメリットがあるとは思えません



自分軸で生きるということは、人間の理性の集約であり、動物を脱却し、人間が人間らしくあるための行動に思えます



いじめ、見下し、マウンティング、他者との比較、嫉妬、殺人



弱肉強食の世界であれば不自然のない行いでしょう



しかし、人権であるとか、男女平等であるとか、恥であるとか、色々な形で人間はそれから脱しようとしてきました。その動物的要素の否定こそ、人間を人間たらしめる部分なのではないかと思います



自分軸、万歳