昨日、昼間に休みすぎたせいか、夜なかなか寝付けなくて
「いいや!」と思い起きだして、なぜか古い日記帳を開いて読んでいました。
それは、今から13年前くらいのもの。
看護師2~3年目のころのものでした。
内容は、ほとんどが
患者さんと彼と、自分の感じたことばかり。
○○さんが亡くなった。
とか
命って、生きるってなんだろう。
とか
もっと自立しないと
とか
彼に対して、変な態度をまたとってしまった
とか。
(※この彼とは、Pちゃんです。)
その頃、心理やコミュニケーションを学んだことがなく
思い込みばかりで生きていたので
読んでいても
「ああ・・・苦しそうだなぁ・・・」
と感じてしまいました。
それでも、一生懸命に仕事をしていたんだなぁ・・・ということが伝わってきました。
また、今の私がこうして『癒し』のお仕事に携わっていること、そのことの源泉を思い出しました。
私自身も苦しかったし
患者さんの苦しみも、一緒に感じすぎて苦しかったようです。
自分はなんでこんなに敏感で、なんでこんなに弱いのだろうか?と何度も書いていました。
今となっては、ふてぶてしいのにね・・・![]()
一生懸命に内省や内観のようなことをしているけれど
視点が一緒で、ネガティブで、自分を低く扱っていました。
そして、他の力を借りる観点も持っていなかったみたい。
(人、植物、自然、動物・・・etc)
ただ、いつも『守っていただいている』ということはたびたび書いてありました。
よしよし。
よく、感じ取っといたな、私。えらいぞ![]()
患者さんからは多くのこと学びました。
本当に、今でも多くの方のお顔、エネルギー、いただいた言葉、アクシデントなどなどを思い出します。
私がはじめて勤務した病棟は、病院内で一番亡くなる方の人数が多い場所でした。
大学病院だったので、とことん治療した上でのお別れで
本当にまさに “闘病” でした。
今の私なら、そのときに出来なかったことも出来るし
話の聴き方も、もっともっと寄り添えたかも・・・しれない・・・
なんて・・・おこがましくも・・・思ってしまいます。
少しでも、楽に
少しでも、目をそらさず、家族の方との絆を守りたかった。
私が、感じること
結局、最後は
愛
と、いうこと。
愛する人が亡くなることをどう受け止めて、対峙していくか。
愛する人を残し、では残された期間どう過ごすのか。
家族や、個人によりまったくちがうかたち。
その人らしさ、家族の形がみえてきます。
少しでも楽に
少しでも、目をそらさずに、家族との絆を守りたかった。
(患者さん、家族さんともに近いのに“死”をはさみ、遠い関係になってしまうことが多かったのです。)
亡くなる間際でなくても、本当は健康なうちからできたらいいのだけど・・・。
そう思います。
身寄りのない方であっても、私たちに愛を与えながら亡くなる方もいらっしゃいましたし
不安で、あたりちらしながら、愛を求めながら亡くなる方もいらっしゃいました。
人は 愛 なんだ
そのことが今振り返るとよくわかります。
愛のために
私は何が出来るだろうか。
経験から感じたことは、財産で
これからの私の原動力でもあります。
愛のために
もっと もっと もっと
自分を開いて。
みんなの中に眠る愛。
私の中に眠る愛。
解放させたい![]()