先日・・・
大丈夫かなぁ・・・と思う人に暴露してみました。
その方は同年代の女性で、私になぜか好感を持ってくれてる方。(ありがとう)
私 「じつは “声” が聞えたことがあって・・・」
Nさん 「ええ~そうなんですかぁ~?なんて聞こえたんですか~?」
私 「いやぁ・・・『光のままススメ・・』・・・って。1回だけ・・・。私、だんだんこういう方向へ行ってるというか、戻ってるみたいで・・・変に思われるのがイヤで・・・。でも言っちゃった。(小さくなりながら暴露
)」
Nさん 「あぁ・・・。ん・・・でも、あまり変じゃないです。・・・まりあさんなら、聞こえてもおかしくない感じがします。」
― 「・・・あっそ~。な~んだぁ・・・」ってちょっと、ホッとしてしまいました。
ああ、思ったよりも、大丈夫なんだ・・・と。
また、結構 『自分が思ってる自分』 と 『相手が思ってる自分』 にギャップがあるなって
私は一生懸命、リアルでまじめな感じで振舞ってみるものの
周囲はやっぱり、ポワ~ンとして受け取るっみたいです。
数年前、カウンセリングがメインだった頃、行きつけの居酒屋さんがありました。
いつもカウンターで飲んでると、いろんな人が集まってきてよく話をしました。
で、おなじみのメンバーの男性が、私に何度も「神秘的」と言いました。
お姑さんや、深く付き合ってない人からも「優雅」といわれたり・・・。
(これ、自慢とかでは全くないんです)
私としては、現実的で地に足の着いたがんばってる女性気取りなのですが、周囲にはそうはうつってないのですよね・・・
上記のことをPちゃんに話すと、よく笑っていました。
Pちゃんは、私のことを 『スラム街育ち』 と呼びます。“優雅”なんて程遠い、環境で育ちましたので。
また私が、家ではへんな裸踊りみたいなの(暴露
)をしてるのを知っているので“神秘的”とはコレマタ程遠いのですね。
でもしかし、周囲が自分をどうみるか?っていうのは、なぜか自分の意思に反して存在するのですよね。
自分ではそう思わなくとも、周囲はそうみている・・・ということをまずは受け止めて。
それが何を意味するのかを感じるのも大切かもしれません。
私の場合
どんなに自分が拒否しようとも
なぜか、“神秘・目に見えないこと”と繋がっていく道が用意されているようです。
それに気づいて、受け入れ出したのも、ここ2ヶ月あまり。
まだまだ、混乱しています。
でも、自分が進むべき道にいないと
何か、変な無理している感覚・もしくは何も感じたくなくなるような絶望感を感じます。
そんなとき私は必ず・・・
「このままいったら、病気になるな・・・」と感じていました。
自分に何が出来るのかはわかりませんがどうやら、こっちの道っぽいので・・・逆らわず行ってみるしかないですね。
人に理解されない ・・・ ということをエラク恐怖がありました。
今でも怖いです。
でも自分にうそはつけません。
今までにない、人生が待っているように感じます
信頼して。
手放します。