一つ前の投稿は、オーラソーマのティーチャー・ドミニクの記事をご紹介しましたひらめき電球





「愛することが出来るまで」


このタイトルを見たとき、どれだけの方が“他者への愛”だと思うのでしょう。


でも、実際は“他者”ではなく

“自己”であって、それこそが一番困難でもあり、しかし多くの人がその道の途上にある。ということ、、、


、、、と、未熟な私は思います。





たくさんの人間関係。


私はその中でも、パートナーとの関係と、いやな気持ちになる相手、というのがとても強力に自分自身の深い気づきにくいところを映し出してくれているように感じます。




どんな出来事も


どんな相手も


自分自身の進化のための助っ人、サポーターなのかな

と、最近常々思ったりキラキラ



ありがたやな、毎日です。







愛することが出来るまで

助っ人はやってきてくれて、気づきのチャンスをくれている。




それに気づくかどうかは、自分次第。


誰かや、何かのせいにしてしまうととってももったいない。


― と、マニアックなはてなマーク私は思うのです。





ジャッジは、成長をとめるけど


感じることは、ハートの探求を深めて、解放のチャンスを高め、進化の可能性がやってくる。








先日、仲間が教えてくれたオーラソーマ代表・マイクの言葉。


それは

プラクティス。




日々は

自分を愛することの

プラクティス。



他者という素晴らしい鏡を通して、日々、プラクティスキラキラ