職業っていうものは、人に大きな影響を与えますね。
と、いうか
ある「観点」をくれるのでしょう。
長い時間
ある一定の“役割”で居続ける・・・そのことは、その部分からの「観点」「思考」で居続けるようなものなのでしょうね。
だから、この場合「職業」とも言うし
「立場」(母、父、学生、など・・・)とも言い換えれるかもしれませんね。
教師をしている人は、教師として、この世界を捉える。
医師をしている人は、医師として、この世界を捉える。
オーラソーマをしている人は、そのプラクティショナーまたはティーチャーとして、この世界を捉える。
どれも正解でもなく、誤りでもなく
いろんな角度がある。ということですよね。
自分とちがう角度からの捉え方、お話を聴くと、結構楽しい
一番気をつけなくては。と思うのは、
この捉え方は、本当のそのものの「一部」の見方なのだ。ということ。
そして、大切な「一部」であると、いうこと。
私の母は、よく
私と話しているとき
「も~・・・大変よねぇ~・・・」
と、あいづちを打っていました。
私としては、あったことや、感じたことを話しているのですが
母には、その話、ひっくるめて「大変」なことになってしまうのでした。
母の中には
「生きるって大変よね」という観点がありました。
娘の私から見ても、大変だったね。と思うし
それでも、この強い人が生んでくれたのだな。と思うと、自分をもっと大切にしなくては、、、と思うのでした。
それでも、一人の人間として
この母の「生きる=大変」という、苦しい思考をどうにか開放できないだろうか・・・
思ったものでした。
他者の価値観を変えようなんて、、、おこがましいものですが。。。
血が繋がっていると思うと、つい感情もまじって、世話焼きになったりして。
でも、バレないように、やってたんだけど。。。
一人の人間としての、この観点。
それは
「自分で、自分の人生は変えられない」という立場だったのかもしれません。
出来事はやって来て
自分や環境を、ぐちゃぐちゃにしていった。。。
無力感
悲しみ
怒り
いろんな気持ちから出来上がった、世界の捉え方。
きっと誰の中にもあって
もしかしたら、ある時期は、こんな気持ちに苛まれたり、苦しんだししてる人もいると思います。
エネルギーは変化するから
そんなときも、訪れる。
でも、その「世界の捉え方」の立場を離れれば。いいこと。
離れられる、ということと
一時的である、ことを知ること。
選び続けているならあ、別だけどね。
、、、
まさか、こんな流れになるなんて。。。
誰かの「世界の捉え方」に触れたとき。
それが、どんなものであっても
私は
その人を
愛おしく感じてしまうのかもな。。。
― と、今、感じました